⇒グエル公園 (Parc GUELL)
バルセロナの地図だと真上〜右上のあたり。普通、この街の地図は南が地中海だから、北北東になるかな?この公園は、繊維業で潤った大富豪グエルさん)が、19世紀末にここに作ろうとしたイギリス風の庭園住宅都市に由来しているそうだ。ガウディがすべてをデザイン(設計という意味も含めた「デザイン」)した郊外住宅地を作ろうとしたわけだ。カサ・ミラといいカサ・バトリョといい、ガウディ当時のバルセロナって繊維業の街だったんだね。
大富豪のグエル伯爵はガウディのパトロンで、この住宅地を作り出す前から資金提供を惜しむことはなかったんだけど、工事は思うようにすすまないし、お金はかかる一方だしで本業が傾きだしちゃったそうだ。その結果、1914年には工事を中断して建設地全体を公共公園として市に寄贈しちゃったと。広い敷地を売るんじゃなく寄贈ってのが金持ちっぽいよね。本業傾いたなら売ればいいのに(笑)。
そういう歴史はともかく、この公園でガイドさんの話を聞いていろいろ面白かった。
そもそも住宅地として開発された場所だけど、結局建築物としては、入り口の門番小屋の建物と2軒の家しか完成してなくて、結構広いこの「公園」。でも「建物」ではないガウディの作品があらゆる場所に点在している。
まず、駐車場でバスを降りて、公園のメインエントランス(住宅地の入り口門番小屋のあるところ)を目指して歩いたけど、基本的に斜面に作られた住宅地だから、道の片側は壁のような斜面、もう片方は雑木林になっている感じ。で、雑木林側1mくらいのところに等間隔で大きな石(岩)が断続的に置かれている。これ、歩道と車道を分けるために置かれたそうだ。現代の日本で舗装された道でならよく見かけるけど、当時はまだアスファルト舗装されてるわけもない。石畳でさえない土ぼこりの立つような道。しかも、馬車の時代。
ガウディって、彫刻家のイメージだけど、一流の都市計画者だったんだなーっと初めて思ったよ。もちろんこれだけじゃなく、流線型のあずまや(小学校の渡り廊下みたいな感じ)とか、19世紀の人がデザインしたのに、今でも似たような発想が生きているのはすごいと思った。

この公園内のガウディの作品で一番有名なのは、中央広場(ギリシャ劇場と呼ばれるらしい)の、人体から断面のかたちが決められたというタイルのベンチ。世界に2番目に長いらしい。広場をぐるーっと囲んでつながってるからね。座ってみると本当に背骨にフィットする感じ。実際に作業員を座らせてデザインしたんだってさ。だから日本人女性だと、私くらいの体格ならいいけど、一緒のツアーにいたおばちゃんとかは小柄だったせいか、聞いてほどはフィットしなかったて言っていた。この広場、清水の舞台とは違うけど高い位置にあって、バルセロナ市街地がここから良く見える。
目に見える作品としてはここのベンチがガウディの「作品」なんだけど、じつはここ、広場自体も「作品」だった。見た目は普通に土を踏み固めたように見える。コンクリートじゃないけど、結構硬い地面。しかし。広場の横の階段を下りていくと、この広場は何本もの太い柱に支えられた空中にあるってことがわかる。ガウディ風の装飾はされているけど、装飾がなければ、ナウシカにでてくる「腐界の底を石化した木々が支えている」という映像を思い出してもらうと近い。あそこまで高さはないけどね。しかもこれ、貯水装置になっているのだそう。
広場の土に雨吸わせて、この柱の中を通して地下に貯水する仕掛け。住宅地として一体を開発する目的があったことがよくわかるよね。単なる公園でこれをする意義はないし。実現はしなかったものの、本当はこの広場の下の「腐界の底の柱の間」で市場を開くって構想だったんだってさ。
これは、ガイドさんがいなきゃ聞けなかった話だぁぁぁ。多分、日本からついてくる添乗員さんとかでも駄目だろうね。常にここに住んでいて、こういうガイドを専門にしてないと。
ベンチと同じくらい有名なのが、中央階段の「愛らしい」ドラゴンのオブジェ。愛らしいかどうかはよくわからないけど、ガウディのモザイク(破砕タイル技法)作品として群を抜いて有名。ドラゴンて言うより・・・コモドオオトカゲとかカメレオンとかイグアナのイメージなんだけど。。。「ドラゴン」や「竜」のイメージって国によっても時代によっても違うから当然か。ガウディは自然に近い形状と質感(自然主義)を旨としつつ、他方では常に放物線形を基礎に非常に緻密な計算を施したって言うけど、色彩感覚は変わってるって気がしないでもない。。。青から赤へのグラデーション的色使いの破砕タイルモザイクの爬虫類がドラゴンか・・・。

⇒サグラダ・ファミリア(Temple Expiatori de la SAGRADA FAMILIA)
これこれ、これを見るためにバルセロナに来たのだよ!
聖家族贖罪教会、サグラダファミリア。
しかーし、実は半日観光ツアーでは写真取りやすいスポットとか、前門/後門で彫刻の説明してもらうだけだったんだ。ただし、時間のない人(旅行全体として)は、ここで解散して中に入るってことも出来た。でも、お昼頃の観光名所って、めっちゃ混んでるのよ。
なので、私は後日もう一回ゆっくりじっくり朝早くから見た。でも、2回に分けると面倒だからここでまとめて書く。そうじゃないと書かなくなりそうだし。

端的に言えば、サグラダファミリアはやっぱり、世界最大にして唯一の金払って入る工事現場だった・・・・。誕生のファサードとか外装はガウディ次代の部分もあるから古く見えたりするけど、中は空洞で、完全に工事現場だもん。型枠に石膏流しいれて彫刻のベース作ってたりさー。
外から見ても、ケルンの大聖堂は、周りの建物がわりかし新しかったから、大聖堂だけ異様に風景から浮いて見えたけど、サグラダファミリアはクレーンとかが載ってるせいなのか、周りの建物も古めなせいなのか、そんなに浮いている感じではなかった。一部は見るからに彩色されたばかりって言う色彩だったし。
どうしても遠景からのイメージがあるから、茶色っぽいとか黒っぽいイメージだけど、尖塔の先っぽの装飾部分は赤だったり黄色だったりもした。地上からは色までは認識しにくいけど、朝イチで行って並ばずにエレベーターで展望台に行けて、間近から確かめた。

ガウディ(1852〜1926)の代表作としてまたバルセロナのシンボルとして世界的に知られるっていろんなものに書かれているけど、元々はガウディが作り始めたんじゃないんだよね。
1882年建築家ビリャール指揮により着工され、翌83年当時30歳のガウディがこれを継承したもの。なんでガウディの作品だって認識されがちなのかといえば、「キリスト生誕の門(誕生のファサード)」をはじめいわゆる圧巻部分が彼によって作られたため。実際には彼は全体を網羅する仔細な設計図を残してなくって、むしろ先駆者の残していった部分から時代ごとの作家が独自にメッセージを読みとり、それを新たに付け加えていくと言った方が良いらしいけどね。
とはいえ、”ガウディのサグラダファミリア”、ここの地下にはガウディのお墓もあった!基礎部分の地下礼拝堂にあるから、ガラス越しに地下を見下ろす形で見ることしか出来ないけど。ちなみに、サグラダ・ファミリアの地下はガウディ博物館になっていて、ミニチュア(といっても人の背丈くらいはある)サグラダファミリアとか置いてある。その博物館の中からも見下ろす位置にお墓はあるのだ。
日本からも彫刻家外尾悦郎氏が生誕の門の修復等において活躍してるけど、冷静に考えると、笑っちゃうよね。いや、外尾さんがおかしいわけじゃなくて、今現在、まだ出来上がっていない建物の「修復」が必要ていう状況がさ。
「修復」じゃなくて「建築の続き」のほうは、1999年に170メートルになる予定の中央…

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玲

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