スペインの想い出【その5】バルセロナ市街半日観光ツアー(中篇)
2005年11月29日前後編のはずが、入りきらなかったので前中後編。
⇒オリンピック競技場(ESTADI OLIMPIC)
かつて(1992年)この地で行われたオリンピックで岩崎恭子選手が200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した。記録は2分26秒65。当時、競泳では史上最年少(14歳6日)の金メダルだった。金メダルを受賞しての言葉「今まで生きてきた中でいちばんしあわせです」っていうのはなんとなく覚えている。その競泳場と、陸上競技のメインスタジアムだった競技場が隣接して立っている。
もともとは第二次大戦前くらいに建てられたものをオリンピックにむけ改装したのが現在のものだそうで、観客席を増設するためにフィールドが10メートルくらい掘り下げられた(!)とガイドさんが言っていた。その結果、今の観客席は65,000人だそうな。さらに、オリンピック時に体操とかで使われた建物もそばにあった。サン・ジョルディ・スポーツ館 (Palau d’Esports SANT JORDI)。サン・ジョルディって、読書の日の聖人じゃなかったんだっけ?読書週間にそう聞いた気がしたんだけど。それはともかく、この建物、日本人建築家のイソザキさん設計によるものらしい。独創性が当時話題を呼んだとか。
バルセロナ・オリンピックってもう13年も前のことなんだねー。うっかりもっと最近かと思ってたよ。90年代って。光陰矢のごとし!
⇒スペイン広場
モンジュイックの丘からミニバスで降りていくと、大きなロータリー状の広場を囲む形の交差点がある。ここがバルセロナのスペイン広場。移動中、ヴェネツィアのサンマルコ広場の鐘楼そっくりの建物が2本あった。説明聞いたけど、忘れちゃった。。。
スペイン広場っていうと、イメージは「ローマの休日」。アン王女がローマのスペイン広場でアイスクリーム食べてたから。ローマのスペイン広場、本当はアイスクリーム食べるの禁止らしいけど。みんなが真似すると、アイスクリーム落とすやつとか絶対いるし、汚れるから整備大変だろうし、しょうがないよね。
話題がずれた。 このスペイン広場もミニバスから眺めただけ。
ここで道曲がって結構すぐのところに、昔の闘牛場跡があった。あったというか、工事中だったんだけど、この工事がすごい!
闘牛場の外装(ほぼ骨組みだけ)を綺麗に残して、中身全部更地にしてあった。この外装を生かして、中をショッピングセンターにするんだそうだ。日本人には考えられない発想だよね。骨組みだけになった闘牛場、なんか、原爆ドームみたいだったし。。。
⇒ランブラス通り(LA RAMBLA)
コペンハーゲンといえばストロイエであるように、バルセロナといえばランブラス。という言い方でわかる人がどれだけいるか、わからない。
簡単に言えば、歩行者のための大通り、それがランブラス通り。旧市街の目抜き通りで、コロンブスの塔からカタルーニャ広場までをつなげてる。ストロイエは歩行者天国状だけど、ランブラスは中央がプラタナス並木に囲まれた広い歩道で、車道はこの両側にある。ここは夜中まで人通りが絶えることがないってガイドさんも言っていたが、あとから歩いたら本当に人多かった。大道芸人とかオープンカフェとか(オープンバルとか?)出てていい感じ。とりあえずツアー的には車で脇の車道を通って眺めただけー。
⇒パセオ・デ・グラシア通り(Passeig de Gracia)
これも通っただけ。ランブラスが旧市街の目抜き通りなら、グラシア大通りはカタルーニャ広場から始まる新市街の目抜き通り。これぞ都市計画っていう整備された広々とした道の両側に、高級ブティックやレストラン、バルが並んでいた。19世紀の都市計画らしい。新市街といえども19世紀。後述するガウディ作のカサ・ミラとかカサ・バトーリョもこの通り沿い。スペイン高級ブランドのロエベが入ってるモンタネール作のカサ・リェオ・モレラとかモデルニスモ建築も点在している。スペイン語のモデルニスモてのは、フランス語で言うところのアール・ヌーヴォーだってことを、ガイドさんから聞いてはじめて知った。アール・ヌーヴォは知ってた。モデルニスモは初めて聞いた。
ついでに、通り沿いのお勧めタパスバルを教えてもらった。ダンキンドーナツの隣のタパタパ!そのお店に関しては実際に行ったときのことを項を改めて書くことにする。
⇒カサ・バトリョ (Casa BATLLO)
グラシア大通りに不意に現れるカサ・バトリョ(正しい発音は《バッリョー》に近いような気がする)は、繊維業界の有力ブルジョアであったバトリョ家が、1877年に建築された建物の増改築をガウディに依頼して出来上がったものだそうな。正面の壁が青っぽいタイルや色ガラスでまとまっているんだけど、これは、海をテーマとした自然主義の作品となっているんだそう。でも、車内から見ると、まん前にでかい街路樹があってよくわからん。隣の建物がモデルニスモの建築物で2棟だけちょっと人目を引く感じではある。いまはチュッパチャップスの会社(本社バルセロナ)がこれの所有者とのこと。
⇒カサ・ミラ (Casa MILA/ La PEDRERA)
カサ・バトリョを過ぎてグラシア大通りを北上していくと、ある交差点に不意に現れるのがカサ・ミラ。これも繊維会社を経営し国会議員でもあったミラ家の依頼により建設されたためカサ・ミラと呼ばれている。でも、別名はラ・ペドレラ(石切場)。石でできた「山」をイメージしてるって言うけど、まさに曲線をもって岩山を描いた感じ。私はデンマークのボーンホルムで石切り場跡を見たことがあるけど、ボーンホルムの本当の石切り場と比べると、カサ・ミラは曲線で形作られている分やさしげ。まあ、人の住む場所だから当然かも。
特徴としては、当時としては画期的な馬車用の地下駐車ホールがあったりとか、屋上にイスラム建築風の柱をがある、とはガイドさんの弁。今は貸しオフィスメインで、最上階がガウディ博物館とのこと。これも車内から見ただけなのでこんなかんじー。
⇒オリンピック競技場(ESTADI OLIMPIC)
かつて(1992年)この地で行われたオリンピックで岩崎恭子選手が200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した。記録は2分26秒65。当時、競泳では史上最年少(14歳6日)の金メダルだった。金メダルを受賞しての言葉「今まで生きてきた中でいちばんしあわせです」っていうのはなんとなく覚えている。その競泳場と、陸上競技のメインスタジアムだった競技場が隣接して立っている。
もともとは第二次大戦前くらいに建てられたものをオリンピックにむけ改装したのが現在のものだそうで、観客席を増設するためにフィールドが10メートルくらい掘り下げられた(!)とガイドさんが言っていた。その結果、今の観客席は65,000人だそうな。さらに、オリンピック時に体操とかで使われた建物もそばにあった。サン・ジョルディ・スポーツ館 (Palau d’Esports SANT JORDI)。サン・ジョルディって、読書の日の聖人じゃなかったんだっけ?読書週間にそう聞いた気がしたんだけど。それはともかく、この建物、日本人建築家のイソザキさん設計によるものらしい。独創性が当時話題を呼んだとか。
バルセロナ・オリンピックってもう13年も前のことなんだねー。うっかりもっと最近かと思ってたよ。90年代って。光陰矢のごとし!
⇒スペイン広場
モンジュイックの丘からミニバスで降りていくと、大きなロータリー状の広場を囲む形の交差点がある。ここがバルセロナのスペイン広場。移動中、ヴェネツィアのサンマルコ広場の鐘楼そっくりの建物が2本あった。説明聞いたけど、忘れちゃった。。。
スペイン広場っていうと、イメージは「ローマの休日」。アン王女がローマのスペイン広場でアイスクリーム食べてたから。ローマのスペイン広場、本当はアイスクリーム食べるの禁止らしいけど。みんなが真似すると、アイスクリーム落とすやつとか絶対いるし、汚れるから整備大変だろうし、しょうがないよね。
話題がずれた。 このスペイン広場もミニバスから眺めただけ。
ここで道曲がって結構すぐのところに、昔の闘牛場跡があった。あったというか、工事中だったんだけど、この工事がすごい!
闘牛場の外装(ほぼ骨組みだけ)を綺麗に残して、中身全部更地にしてあった。この外装を生かして、中をショッピングセンターにするんだそうだ。日本人には考えられない発想だよね。骨組みだけになった闘牛場、なんか、原爆ドームみたいだったし。。。
⇒ランブラス通り(LA RAMBLA)
コペンハーゲンといえばストロイエであるように、バルセロナといえばランブラス。という言い方でわかる人がどれだけいるか、わからない。
簡単に言えば、歩行者のための大通り、それがランブラス通り。旧市街の目抜き通りで、コロンブスの塔からカタルーニャ広場までをつなげてる。ストロイエは歩行者天国状だけど、ランブラスは中央がプラタナス並木に囲まれた広い歩道で、車道はこの両側にある。ここは夜中まで人通りが絶えることがないってガイドさんも言っていたが、あとから歩いたら本当に人多かった。大道芸人とかオープンカフェとか(オープンバルとか?)出てていい感じ。とりあえずツアー的には車で脇の車道を通って眺めただけー。
⇒パセオ・デ・グラシア通り(Passeig de Gracia)
これも通っただけ。ランブラスが旧市街の目抜き通りなら、グラシア大通りはカタルーニャ広場から始まる新市街の目抜き通り。これぞ都市計画っていう整備された広々とした道の両側に、高級ブティックやレストラン、バルが並んでいた。19世紀の都市計画らしい。新市街といえども19世紀。後述するガウディ作のカサ・ミラとかカサ・バトーリョもこの通り沿い。スペイン高級ブランドのロエベが入ってるモンタネール作のカサ・リェオ・モレラとかモデルニスモ建築も点在している。スペイン語のモデルニスモてのは、フランス語で言うところのアール・ヌーヴォーだってことを、ガイドさんから聞いてはじめて知った。アール・ヌーヴォは知ってた。モデルニスモは初めて聞いた。
ついでに、通り沿いのお勧めタパスバルを教えてもらった。ダンキンドーナツの隣のタパタパ!そのお店に関しては実際に行ったときのことを項を改めて書くことにする。
⇒カサ・バトリョ (Casa BATLLO)
グラシア大通りに不意に現れるカサ・バトリョ(正しい発音は《バッリョー》に近いような気がする)は、繊維業界の有力ブルジョアであったバトリョ家が、1877年に建築された建物の増改築をガウディに依頼して出来上がったものだそうな。正面の壁が青っぽいタイルや色ガラスでまとまっているんだけど、これは、海をテーマとした自然主義の作品となっているんだそう。でも、車内から見ると、まん前にでかい街路樹があってよくわからん。隣の建物がモデルニスモの建築物で2棟だけちょっと人目を引く感じではある。いまはチュッパチャップスの会社(本社バルセロナ)がこれの所有者とのこと。
⇒カサ・ミラ (Casa MILA/ La PEDRERA)
カサ・バトリョを過ぎてグラシア大通りを北上していくと、ある交差点に不意に現れるのがカサ・ミラ。これも繊維会社を経営し国会議員でもあったミラ家の依頼により建設されたためカサ・ミラと呼ばれている。でも、別名はラ・ペドレラ(石切場)。石でできた「山」をイメージしてるって言うけど、まさに曲線をもって岩山を描いた感じ。私はデンマークのボーンホルムで石切り場跡を見たことがあるけど、ボーンホルムの本当の石切り場と比べると、カサ・ミラは曲線で形作られている分やさしげ。まあ、人の住む場所だから当然かも。
特徴としては、当時としては画期的な馬車用の地下駐車ホールがあったりとか、屋上にイスラム建築風の柱をがある、とはガイドさんの弁。今は貸しオフィスメインで、最上階がガウディ博物館とのこと。これも車内から見ただけなのでこんなかんじー。
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