飛行機の席に関して、私は原則として、昼間便は窓側、夜便は通路側の席が好きだ。
なぜかといえば、昼便は運がよければ景色が良いから。
飛行機の翼の部分に当たっちゃうと最悪だけどね。
しかも、昼便は隣の席の人とかもみんな起きてるから、トイレ行きたいときもあんまり遠慮せずにいける。
逆に夜便は、どうせそんなに夜景が見れるわけでもないし。
それよりのどが乾いたら気軽にアテンダントさんに声かけられたり、気軽にトイレも行けるのが良い。

ところで今回、行きの飛行機はちょうどお昼ごろに日本を飛び立つ便だった。
もちろん窓側をお願いしたんだけど、結構後ろのほうの席で、窓際の一連の席が、前の列までは3席で、私のいる列と後ろは2席。後ろのほうは機体がシェイプされてるからね。
前のほうもそうだろうけど、コックピットだからわかんないし。
で、何が良かったかといえば、席と窓のある壁との間に隙間があるのよね。
ここの隙間が重要。
手荷物そこに突っ込めるし、いらない間は毛布もそこにおいて置けるし。

この隙間を有効利用してごそごそしてたら、後ろの席のひげのおじさんと目があった。
ちょっと会話。自分の英語力の退化っぷりにがっかり。
聞き取りは平気なのにしゃべれん。
うーん、これじゃあ、英語圏じゃない国で英語で戦うのも大変そうだ、と思ってしまった。

バルセロナ行きの飛行機、直行がないからアムステルダム乗換えだったのだが、ユーラシア大陸かなりの晴れっぷり。
ロシア上空はそこここに街が見えても、土地勘がないからさっぱりわかんなかったけど、ストックホルムは上空から非常に良く見えた。
ガムラスタンとか王宮とか指差せるくらいに。
アムスに近づいてる分、高度も下がっていたのかもしれないけど。
前の席のおばちゃまと2人で大興奮してた(笑)。
着陸直前、アムステルダムの大堤防も良く見えた。

後半戦はアムステルダムからバルセロナへ。
コペンハーゲン⇒フランクフルト便と同じくらい小さな飛行機。
3席通路3席で、一応ビジネスクラスはあるけど、エコノミーとはカーテンが仕切りなだけ。
機内食は新幹線の弁当販売みたいな感じで買う形式。
ま、前半戦の飛行機で食べすぎだったから食べなかったんだけどね。
まあ、ここでも窓際だったんだけどさ。
隣2席はオーストラリア人のご夫婦だそうな。
バルセロナから地中海クルーズに出るんだって。
優雅だよね。
私もリタイアしたらそういう風に過ごしたいな。
ま、先立つものと連れが必要でしょうけど(笑)。
とりあえず、多少英会話はましになったかも。
意思疎通は成立してたよ。

バルセロナ着陸直前に、飛行機の窓から見た夜景もすごかった。
百万ドルの夜景とかそういうことじゃなくて。
(そういえば、百万ドルの夜景って電気代から概算してはじき出した表現のはず。電気代の高さを皮肉ってる含みがあるはずなのに、今じゃイルミネーションのきらびやかさを表現する慣用句になってるよなー。)
バルセロナという街の、都市計画のすごさを感じたんだ。

多分、昼間だったらきづかなかったと思う。
広大なバルセロナの「町」の中心に位置する旧市街の街並みが不揃いなのは時代背景を鑑みて当然とするとして。
旧市街の周りを広大に取り巻く新市街の夜景。
基本的にきれいな碁盤の目のように格子状に道路が引かれている。
(厳密にいうと、広場から放射状に大通りが走ってるから、一部格子状ではないのだが。)
そして、圧巻はその新市街の格子状の道路ほとんど全てに、等間隔のオレンジ色の街灯が配置されていたことだ。
この街灯によって、飛行機の窓からでもどこにどのように道路があるのかを視認できた。

これは本当にすごかった。感動したというより、興奮した。
のちに知った話だと、ガウディという建築家は都市計画家でもあったという。
それについては次回に詳しく記述しようと思うが、都市計画が存在したことが都市の景観からわかるというのは事実なのだとさとった。
人文地理学の授業が4年を経てようやく自分の中で理解できた瞬間だ。

日本だと、碁盤の目上に道路がある都市は京都と大阪がメジャーだと思う。
京都は、平安時代から綿々とそうで、住所なんだか道案内してるんだかよくわからないほどの住所表示も、この碁盤の目が根本にある。
京都ほどメジャーではないかもしれないが、基本的には大阪もそうだ。
御堂筋のような北から南への道路を筋、本町通のような東から西への道路を通りと表現する。
そして、おおきな筋と通りの地下に地下鉄が走っている。
だから、初めての駅で降りても、方向感覚さえ狂わなければ迷わない。小さな路地とかは別だけどね。

それに反して。
東京は、ド田舎の湿地に建築された城であった江戸城が今の皇居となっているわけで、格子状にするという意識もなく形成された町だ。
東京大空襲で一度焦土と化し、ここで都市計画を見直せばよかったのかもしれないが、その後の再形成でも皇居を中心に形成されてしまった。
時代背景を考えたら当然なのだろうが、皇居から放射状に昭和通などの大通りが作られた。
その間を埋めるように他の道路や建築物が建てられ。
テロを警戒したのか、地下鉄さえ皇居の地下を避けて敷設された。
だから、東京という街は非常にわかりにくい構造になっているし、地下鉄の路線図も京都や大阪のものに比べると異様なほどに絡み合っている。

バルセロナを見て思った。
東京の街並みよりはるかに京都の古い町並みのほうが「近代的」あるいは「現代的」なのではないだろうか、と。
日本に限定して言えば、もともと四角い区画で大内裏が存在する京都が格子状に区画されるのは当然かもしれない。
二重の堀を抱えた円形の皇居を中心に発達した東京の街並みが、格子状に形成されなかったのは当たり前なのかも知れない。
(あ、大坂城はどうなんだろ?)

しかし、世界に目も向ければ。
ある程度大きな都市は、かなりの割合で格子状に基幹道路が通っている。
凱旋門を中心に放射状の大道路を持つパリでさえ、基本は格子状の区画整理された街並みだ。
バルセロナの旧市街地の位置に皇居を置いて考えれば、戦後すぐの都市計画いかんで東京もバルセロナのような区画整理された街並みを持つようになっていたかもしれない。
あくまでも、想像のお話。
もしかしたら、創造のお話。

今回の経験値
「英会話は度胸と慣れ・都市構造から歴史がのぞける」

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玲

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