コンセール・ルクール第1回演奏会
2009年4月11日(土)
杉並公会堂大ホール
開場 13:15 開演 14:00
曲目
前プロ・・・ワグナー:ローエングリン第一幕の前奏曲
中プロ・・・モーツァルト:ホルン協奏曲第四番 (独奏:大貫ひろし)
メイン・・・チャイコフスキー:交響曲第四番
大貫ひろしコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2418859
コンセール・ルクール(ブログ版)
http://concertlecoeur.blog102.fc2.com/
【プロフィール】
<指揮・独奏 大貫ひろし氏>
都立藝術高等学校音楽科、東京藝術大学音楽学部器楽科にて学ぶ。
千葉 馨、守山光三、山本 真、フーベルト・ブラーデル、中川良平、小林道夫、多田逸郎、伊達 良、藤井凡大の各氏に師事。
東京バッハ・カンタータ・アンサンブルのホルン奏者として、数少ないバッハ、モーツァルト、ハイドンなどの宗教音楽のスペシャリストとして活躍。高音域の美しい音色と安定性には定評がある。
近年、指揮者としても活動の場を広げ、2003年モーツァルトのオペラ「魔笛」を指揮してデビュー。
またアマチュアオーケストラの指導にも情熱を注ぎ、多くのオーケストラを育てている。
<コンサートマスター 高木聡氏>
東京芸術大学音楽学部卒業。
ヴァイオリンを小沢 真琴、岡山 潔、和波 孝禧、塚原 るり子の各氏に、室内楽を小林 道夫、金昌国の各氏に師事。
1999年The International Holland Music sessions修了。
また、芸大バッハカンタータクラブにて小林道夫氏のもとで研鑽を積む。
第九回全日本ソリストコンテストにてベストソリスト賞受賞。
2004年にはリサイタルを開き、好評を博す。
東京芸術大学管弦楽部非常勤講師を勤めた後、現在はソロ、室内楽、オーケストラ等で活躍中。
東京バッハ・カンタータ・アンサンブルメンバー。
2009年4月11日(土)
杉並公会堂大ホール
開場 13:15 開演 14:00
曲目
前プロ・・・ワグナー:ローエングリン第一幕の前奏曲
中プロ・・・モーツァルト:ホルン協奏曲第四番 (独奏:大貫ひろし)
メイン・・・チャイコフスキー:交響曲第四番
大貫ひろしコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2418859
コンセール・ルクール(ブログ版)
http://concertlecoeur.blog102.fc2.com/
【プロフィール】
<指揮・独奏 大貫ひろし氏>
都立藝術高等学校音楽科、東京藝術大学音楽学部器楽科にて学ぶ。
千葉 馨、守山光三、山本 真、フーベルト・ブラーデル、中川良平、小林道夫、多田逸郎、伊達 良、藤井凡大の各氏に師事。
東京バッハ・カンタータ・アンサンブルのホルン奏者として、数少ないバッハ、モーツァルト、ハイドンなどの宗教音楽のスペシャリストとして活躍。高音域の美しい音色と安定性には定評がある。
近年、指揮者としても活動の場を広げ、2003年モーツァルトのオペラ「魔笛」を指揮してデビュー。
またアマチュアオーケストラの指導にも情熱を注ぎ、多くのオーケストラを育てている。
<コンサートマスター 高木聡氏>
東京芸術大学音楽学部卒業。
ヴァイオリンを小沢 真琴、岡山 潔、和波 孝禧、塚原 るり子の各氏に、室内楽を小林 道夫、金昌国の各氏に師事。
1999年The International Holland Music sessions修了。
また、芸大バッハカンタータクラブにて小林道夫氏のもとで研鑽を積む。
第九回全日本ソリストコンテストにてベストソリスト賞受賞。
2004年にはリサイタルを開き、好評を博す。
東京芸術大学管弦楽部非常勤講師を勤めた後、現在はソロ、室内楽、オーケストラ等で活躍中。
東京バッハ・カンタータ・アンサンブルメンバー。
草の根運動
2008年4月13日http://osaka-century.sakura.ne.jp/
現在関東在住なので、あんまり身近じゃなくなってるけど、
関西の大学でオーケストラに参加していた身としては、無視できないなぁ、と。
締め切りまであと1週間で気づくのもたいがいだけどね。
現在関東在住なので、あんまり身近じゃなくなってるけど、
関西の大学でオーケストラに参加していた身としては、無視できないなぁ、と。
締め切りまであと1週間で気づくのもたいがいだけどね。
読書日記2008【3月】
2008年4月12日著者 題名 status
黒田研二 幻影のペルセポネ ☆☆☆☆★
澤見彰 海駆けるライヴァーバード ☆☆☆☆★
森山赳志 黙過の代償 ☆☆☆☆★
西澤保彦 両性具有迷宮 ☆☆☆★★
赤城毅 書物狩人 ☆☆☆☆★
秋山香乃 諜報新撰組 風の宿り源さんの事件簿 再読
池田あきこ ダヤン、わちふぃーるどへ わちふぃーるど物語1 ☆☆☆★★
池田あきこ ダヤンとジタン わちふぃーるど物語2 ☆☆☆★★
菊地秀行 D-聖魔遍歴 吸血鬼ハンター6 ☆☆☆★★
赤城毅 血文字GJ 猫子爵冒険譚 ☆☆☆★★
東 秀紀 東京駅の建築家 辰野金吾伝 ☆☆☆☆☆
菊地秀行 D-北海魔行 吸血鬼ハンター7 ☆☆☆☆★
森博嗣 τになるまで待って 再読
浅黄斑 かしくのかじか 明治なんぎ屋探偵録 ☆☆☆★★
森奈津子 踊るギムナジウム ☆☆★★★
赤城毅 麝香姫の恋文 ☆☆☆★★
竹本健治 狂い咲く薔薇を君に 牧場智久の雑役 ☆☆☆★★
荒俣宏 どおまん・せいまん奇談 ☆☆☆★★
倉阪鬼一 四神金赤館銀青館不可能殺人 ☆☆★★★
赤川次郎 三姉妹探偵団 再読
赤川次郎 禁じられたソナタ 上 再読
赤川次郎 禁じられたソナタ 下 再読
黒田研二 幻影のペルセポネ ☆☆☆☆★
澤見彰 海駆けるライヴァーバード ☆☆☆☆★
森山赳志 黙過の代償 ☆☆☆☆★
西澤保彦 両性具有迷宮 ☆☆☆★★
赤城毅 書物狩人 ☆☆☆☆★
秋山香乃 諜報新撰組 風の宿り源さんの事件簿 再読
池田あきこ ダヤン、わちふぃーるどへ わちふぃーるど物語1 ☆☆☆★★
池田あきこ ダヤンとジタン わちふぃーるど物語2 ☆☆☆★★
菊地秀行 D-聖魔遍歴 吸血鬼ハンター6 ☆☆☆★★
赤城毅 血文字GJ 猫子爵冒険譚 ☆☆☆★★
東 秀紀 東京駅の建築家 辰野金吾伝 ☆☆☆☆☆
菊地秀行 D-北海魔行 吸血鬼ハンター7 ☆☆☆☆★
森博嗣 τになるまで待って 再読
浅黄斑 かしくのかじか 明治なんぎ屋探偵録 ☆☆☆★★
森奈津子 踊るギムナジウム ☆☆★★★
赤城毅 麝香姫の恋文 ☆☆☆★★
竹本健治 狂い咲く薔薇を君に 牧場智久の雑役 ☆☆☆★★
荒俣宏 どおまん・せいまん奇談 ☆☆☆★★
倉阪鬼一 四神金赤館銀青館不可能殺人 ☆☆★★★
赤川次郎 三姉妹探偵団 再読
赤川次郎 禁じられたソナタ 上 再読
赤川次郎 禁じられたソナタ 下 再読
読書日記2008【2月】
2008年3月8日 読書白い星☆が多いほうが面白かったという単位で5段階評定。
著者 名 status
==========================================================
西尾維新 刀語 第三話 千刀・? ☆☆☆☆★
西尾維新 刀語 第四話 薄刀・針 ☆☆☆☆★
高里椎奈 ソラチルサクハナ 薬屋探偵怪奇譚 ☆☆☆★★
化野燐 妄邪船 人工憑霊蠱猫 ☆☆☆★★
篠田真由美 一角獣の繭 建築探偵桜井京介の受験簿 ☆☆☆☆★
森福都 楽昌珠 ☆☆☆☆★
菊地秀行 風立ちて"D" 吸血鬼ハンター2 ☆☆☆☆★
菊地秀行 D-妖殺行 吸血鬼ハンター3 ☆☆☆☆★
殊能将之 キマイラの新しい城 再読
菊地秀行 D-死街譚 吸血鬼ハンター4 ☆☆☆☆★
佐藤さとる ジュンと秘密の友だち 佐藤さとるファンタジー童話集 ? ☆☆☆★★
佐藤さとる 小鬼がくるとき 佐藤さとるファンタジー童話集 ? ☆☆☆★★
伊坂幸太郎 陽気なギャングが地球を回す ☆☆☆☆★
菊地秀行 夢なりし”D” 吸血鬼ハンター5 ☆☆☆★★
黒田研二 ナナフシの恋 ☆☆☆☆★
太田忠司 五つの鍵の物語 ☆☆☆☆★
古野まほろ 天帝のつかわせる御矢 ☆☆☆☆★
伊坂幸太郎 陽気なギャングの日常と襲撃 ☆☆☆☆★
佐飛通俊 円環の孤独 ☆☆☆☆★
著者 名 status
==========================================================
西尾維新 刀語 第三話 千刀・? ☆☆☆☆★
西尾維新 刀語 第四話 薄刀・針 ☆☆☆☆★
高里椎奈 ソラチルサクハナ 薬屋探偵怪奇譚 ☆☆☆★★
化野燐 妄邪船 人工憑霊蠱猫 ☆☆☆★★
篠田真由美 一角獣の繭 建築探偵桜井京介の受験簿 ☆☆☆☆★
森福都 楽昌珠 ☆☆☆☆★
菊地秀行 風立ちて"D" 吸血鬼ハンター2 ☆☆☆☆★
菊地秀行 D-妖殺行 吸血鬼ハンター3 ☆☆☆☆★
殊能将之 キマイラの新しい城 再読
菊地秀行 D-死街譚 吸血鬼ハンター4 ☆☆☆☆★
佐藤さとる ジュンと秘密の友だち 佐藤さとるファンタジー童話集 ? ☆☆☆★★
佐藤さとる 小鬼がくるとき 佐藤さとるファンタジー童話集 ? ☆☆☆★★
伊坂幸太郎 陽気なギャングが地球を回す ☆☆☆☆★
菊地秀行 夢なりし”D” 吸血鬼ハンター5 ☆☆☆★★
黒田研二 ナナフシの恋 ☆☆☆☆★
太田忠司 五つの鍵の物語 ☆☆☆☆★
古野まほろ 天帝のつかわせる御矢 ☆☆☆☆★
伊坂幸太郎 陽気なギャングの日常と襲撃 ☆☆☆☆★
佐飛通俊 円環の孤独 ☆☆☆☆★
読書日記2008【1月】
2008年3月8日 読書白い星☆が多いほうが面白かったという単位で5段階評定。
著者 名 status
==========================================================
有栖川有栖 46番目の密室 再読
有栖川有栖 海のある奈良に死す 再読
栗本薫 夢幻戦記1 総司地獄変 上 ☆☆☆☆★
栗本薫 夢幻戦記2 総司地獄変 下 ☆☆☆★★
菊地秀行 新 魔界行 ? 聖魔淫闘編 ☆☆★★★
菊地秀行 新 魔界行 ? 天魔降臨編 ☆☆★★★
森博嗣 封印再度 who inside 再読
森博嗣 ηなのに夢のよう ☆☆☆★★
図子慧 駅神 ☆☆☆★★
清涼院流水 パーフェクト・ワールド Book.1 ☆☆☆☆★
清涼院流水 パーフェクト・ワールド Book.2 ☆☆☆☆★
小川洋子 博士の本棚 ☆☆☆★★
栗本薫 パロスの剣 ☆☆☆★★
篠田真由美 風信子の家 神代教授の日常と謎 ☆☆☆☆★
森博嗣 クレイドゥ ザ スカイ ☆☆☆★★
栗本薫 紅鶴城の幽霊 グイン・サーガ114 ☆☆☆☆★
栗本薫 水神の祭り グイン・サーガ115 ☆☆☆☆★
白雪まゆ 幸せな貧乏姫 ☆☆★★★
有栖川有栖 女王国の城 ☆☆☆☆☆
青山潜/岡田晃房 住所田園調布職業ホームレス ☆☆☆★★
西尾維新 刀語 第一話 絶刀・鉋 ☆☆☆☆★
西尾維新 刀語 第ニ話 斬刀・鈍 ☆☆☆☆★
著者 名 status
==========================================================
有栖川有栖 46番目の密室 再読
有栖川有栖 海のある奈良に死す 再読
栗本薫 夢幻戦記1 総司地獄変 上 ☆☆☆☆★
栗本薫 夢幻戦記2 総司地獄変 下 ☆☆☆★★
菊地秀行 新 魔界行 ? 聖魔淫闘編 ☆☆★★★
菊地秀行 新 魔界行 ? 天魔降臨編 ☆☆★★★
森博嗣 封印再度 who inside 再読
森博嗣 ηなのに夢のよう ☆☆☆★★
図子慧 駅神 ☆☆☆★★
清涼院流水 パーフェクト・ワールド Book.1 ☆☆☆☆★
清涼院流水 パーフェクト・ワールド Book.2 ☆☆☆☆★
小川洋子 博士の本棚 ☆☆☆★★
栗本薫 パロスの剣 ☆☆☆★★
篠田真由美 風信子の家 神代教授の日常と謎 ☆☆☆☆★
森博嗣 クレイドゥ ザ スカイ ☆☆☆★★
栗本薫 紅鶴城の幽霊 グイン・サーガ114 ☆☆☆☆★
栗本薫 水神の祭り グイン・サーガ115 ☆☆☆☆★
白雪まゆ 幸せな貧乏姫 ☆☆★★★
有栖川有栖 女王国の城 ☆☆☆☆☆
青山潜/岡田晃房 住所田園調布職業ホームレス ☆☆☆★★
西尾維新 刀語 第一話 絶刀・鉋 ☆☆☆☆★
西尾維新 刀語 第ニ話 斬刀・鈍 ☆☆☆☆★
この1冊!【2007年12月】
2008年1月5日 読書
『凍りのくじら』
著者: 辻村 深月
SF≠サイエンス・フィクション
SF=少し・浮遊
SF=少し・不満
SF=少し・不明
・
・
・
SF=少し・不思議
2007年、綾辻行人氏と辻村深月さんの対談を聞きに講談社まで行って、よりいっそう辻村作品が好きになったような気がする。
処女作品は長くて作りこんだ世界観である割に、表現しきれる文章力がついてきていなかった感があったけど、このくらいの長さの小説は、とっても魅力的。
2008年もすばらしい本に恵まれますように・・・。
内容(「BOOK」データベースより)
藤子・F・不二雄をこよなく愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた 高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を少しずつ癒していくが、昔の恋人の存在によって事態 は思わぬ方向へ進んでしまう…。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語。
内容(「MARC」データベースより)
カメラマンの父が失踪してから5年。毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に現れた青年・別所あきら。彼の優しさが理帆子の心を癒していくが…。家族と大切な人との繋がりを描く「少し不思議」な物語。
著者: 辻村 深月
SF≠サイエンス・フィクション
SF=少し・浮遊
SF=少し・不満
SF=少し・不明
・
・
・
SF=少し・不思議
2007年、綾辻行人氏と辻村深月さんの対談を聞きに講談社まで行って、よりいっそう辻村作品が好きになったような気がする。
処女作品は長くて作りこんだ世界観である割に、表現しきれる文章力がついてきていなかった感があったけど、このくらいの長さの小説は、とっても魅力的。
2008年もすばらしい本に恵まれますように・・・。
内容(「BOOK」データベースより)
藤子・F・不二雄をこよなく愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた 高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を少しずつ癒していくが、昔の恋人の存在によって事態 は思わぬ方向へ進んでしまう…。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語。
内容(「MARC」データベースより)
カメラマンの父が失踪してから5年。毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に現れた青年・別所あきら。彼の優しさが理帆子の心を癒していくが…。家族と大切な人との繋がりを描く「少し不思議」な物語。
シャングリ・ラこの1冊!【2007年11月】
2007年12月30日 読書
『シャングリ・ラ』
著者: 池上 永一
石田衣良の『ブルー・タワー』であるとか、
飯田雪子の『地下十七階の亡霊』であるとか、
田中啓文の『忘却の中に流れは光』であるとか、
どこか似たような世界観を持つ小説はいくらでも上げられる気がするけれど、この作品が一番、行間から映像が垣間見える感じがする。
圧倒的なイメージ力に舌を巻く。
はじめのうち、世界観の説明がないが故に戸惑うけれど、
読み進めるうちにぐいぐい引き込まれる。
しかし、アニメ化とか実写化はありえないなー。。。。
出版社/著者からの内容紹介
地球温暖化の影響で東京は熱帯の都市へと変貌した。都心の気温を5℃下げるために東京は世界最大の森林都市へと生まれ変わる。しかし地上は難民で溢れ、積層都市アトラスへと居住できる者はごく僅かだった。地上の反政府ゲリラは森林化を阻止するために立ち上がった。月刊Newtypeの人気連載小説を待望の単行本化!!
出版社からのコメント
「シャングリ・ラ」は、長編小説としては著者初の、東京を舞台にした物語です。著者が得意とする、南国の世界のどこかゆったりした雰囲気や個性あふれる登場人物のやりとりに、東京というエッセンスが加わり強烈な化学反応が起きました。ここで描かれる東京は誰も見たことがない、でも、誰もが知っている東京になっています。地球温暖化というテーマにも真っ向から挑み、政治、経済、文化のすべてをシミュレーションしながら、息もつかせぬストーリーテリングで 1600枚を読ませます。ラストにはあっと驚く結末が用意されました。著者みずからも「現時点でできる最高傑作」と語る作品が誕生しました。
著者: 池上 永一
石田衣良の『ブルー・タワー』であるとか、
飯田雪子の『地下十七階の亡霊』であるとか、
田中啓文の『忘却の中に流れは光』であるとか、
どこか似たような世界観を持つ小説はいくらでも上げられる気がするけれど、この作品が一番、行間から映像が垣間見える感じがする。
圧倒的なイメージ力に舌を巻く。
はじめのうち、世界観の説明がないが故に戸惑うけれど、
読み進めるうちにぐいぐい引き込まれる。
しかし、アニメ化とか実写化はありえないなー。。。。
出版社/著者からの内容紹介
地球温暖化の影響で東京は熱帯の都市へと変貌した。都心の気温を5℃下げるために東京は世界最大の森林都市へと生まれ変わる。しかし地上は難民で溢れ、積層都市アトラスへと居住できる者はごく僅かだった。地上の反政府ゲリラは森林化を阻止するために立ち上がった。月刊Newtypeの人気連載小説を待望の単行本化!!
出版社からのコメント
「シャングリ・ラ」は、長編小説としては著者初の、東京を舞台にした物語です。著者が得意とする、南国の世界のどこかゆったりした雰囲気や個性あふれる登場人物のやりとりに、東京というエッセンスが加わり強烈な化学反応が起きました。ここで描かれる東京は誰も見たことがない、でも、誰もが知っている東京になっています。地球温暖化というテーマにも真っ向から挑み、政治、経済、文化のすべてをシミュレーションしながら、息もつかせぬストーリーテリングで 1600枚を読ませます。ラストにはあっと驚く結末が用意されました。著者みずからも「現時点でできる最高傑作」と語る作品が誕生しました。
この1冊!【2007年10月】
2007年11月18日 読書
『 日本・デンマーク文化交流史 1600−1873』
著者: 長島 要一
いまさら私がこーゆーある意味でマニアな本を読んでいても、誰も驚かないのではないか、と思っとります。。。。
私、いまや学生じゃないし、研究職でもないし。
単なるデンマーク歴史フリークなSEなんですけど(笑)。
ちなみに、卒論の題名は『Enevældens Dæmring i Danmark
-en redegørelse fra den bornholmske opstand 1658-
』で、なぜか日本語の正式な題名を残していないのが謎なんだが。。。
多分こんな感じ。
『デンマーク絶対王政の成立―1658年のボーンホルム島民の反乱からの考察―』
誰の役にも立たないネタですまんね。。。。
いや、謝る必要すらないのか?(笑)
まあ、そんなこんなで、1600年代のデンマークって、北欧の歴史を俯瞰した仲でも私が一番心惹かれるところなわけね。
だけど、日本との交流という切り口でその時代を見たことがなかった。
だって、日本史上では鎖国始まってる時代だもの。
オランダとかポルトガルとの交流はさておき、デンマークって国がその時代の日本で認知されてたなんて思いもよらず。
逆にデンマーク史上でも、東インド会社があったことは認識してても、彼らがアジアのどこまで来ていたかっていうところまでは意識してなかった。
まだ、今のような小国じゃなかったデンマークとはいえ、ね。
私の記憶が正しければ、ノルウェーとの連合が解消されるのって1814年あたりだし。
そんなわけで、超興味深い本だったのだ、個人的には。
ただし、日本語がおかしいところが各所に見られ。
おかしいというか、こなれてないというか、あまりにも古い日本語というか。学術論文じゃないんだから、もっと読みやすい日本語にしてほしい、と思ったり。
カタカナ表記がいまいち統一感にかけるし。
地名人名がカタカナ表記されるのは当然なんだけど、ソンダーボルグとかアマリエンボルグはないだろ〜?とかさ。
ドイツ語じゃなくてデンマーク語で書くべきところは、カタカナ語も出来るだけ忠実に書いてくれないと、いったいどこの土地指してるのか文脈上考えなきゃならないじゃないか。
シュナボーだしアメリエンボーでしょ〜????
まあ上記2つはともかく、ほとんど同じつづりの街がデンマークとスウェーデンとかにある場合だってあるんだから、発音に近くしてくれないとわかりにくいんだよね。
クリスチャン4世に名前もらった街がいくつあると思ってるのさ〜。
(アレキサンドリア的にごろごろしてるっつーの!)
そんなわけで、内容はすごく面白かったけど、一部ストレスがたまったのでした(笑)
書籍詳細より:
日本に向け船を送りながらその夢を果たせなかったクリスチャン四世時代から1873年の岩倉使節団デンマーク訪問までをデンマーク語文献と日本語文献を丹念につき合わせ描く。近代日本の異文化交流史として貴重な文献である。
著者: 長島 要一
いまさら私がこーゆーある意味でマニアな本を読んでいても、誰も驚かないのではないか、と思っとります。。。。
私、いまや学生じゃないし、研究職でもないし。
単なるデンマーク歴史フリークなSEなんですけど(笑)。
ちなみに、卒論の題名は『Enevældens Dæmring i Danmark
-en redegørelse fra den bornholmske opstand 1658-
』で、なぜか日本語の正式な題名を残していないのが謎なんだが。。。
多分こんな感じ。
『デンマーク絶対王政の成立―1658年のボーンホルム島民の反乱からの考察―』
誰の役にも立たないネタですまんね。。。。
いや、謝る必要すらないのか?(笑)
まあ、そんなこんなで、1600年代のデンマークって、北欧の歴史を俯瞰した仲でも私が一番心惹かれるところなわけね。
だけど、日本との交流という切り口でその時代を見たことがなかった。
だって、日本史上では鎖国始まってる時代だもの。
オランダとかポルトガルとの交流はさておき、デンマークって国がその時代の日本で認知されてたなんて思いもよらず。
逆にデンマーク史上でも、東インド会社があったことは認識してても、彼らがアジアのどこまで来ていたかっていうところまでは意識してなかった。
まだ、今のような小国じゃなかったデンマークとはいえ、ね。
私の記憶が正しければ、ノルウェーとの連合が解消されるのって1814年あたりだし。
そんなわけで、超興味深い本だったのだ、個人的には。
ただし、日本語がおかしいところが各所に見られ。
おかしいというか、こなれてないというか、あまりにも古い日本語というか。学術論文じゃないんだから、もっと読みやすい日本語にしてほしい、と思ったり。
カタカナ表記がいまいち統一感にかけるし。
地名人名がカタカナ表記されるのは当然なんだけど、ソンダーボルグとかアマリエンボルグはないだろ〜?とかさ。
ドイツ語じゃなくてデンマーク語で書くべきところは、カタカナ語も出来るだけ忠実に書いてくれないと、いったいどこの土地指してるのか文脈上考えなきゃならないじゃないか。
シュナボーだしアメリエンボーでしょ〜????
まあ上記2つはともかく、ほとんど同じつづりの街がデンマークとスウェーデンとかにある場合だってあるんだから、発音に近くしてくれないとわかりにくいんだよね。
クリスチャン4世に名前もらった街がいくつあると思ってるのさ〜。
(アレキサンドリア的にごろごろしてるっつーの!)
そんなわけで、内容はすごく面白かったけど、一部ストレスがたまったのでした(笑)
書籍詳細より:
日本に向け船を送りながらその夢を果たせなかったクリスチャン四世時代から1873年の岩倉使節団デンマーク訪問までをデンマーク語文献と日本語文献を丹念につき合わせ描く。近代日本の異文化交流史として貴重な文献である。
この1冊!【2007年9月】
2007年10月20日 読書
『楽園』
著者:宮部 みゆき
前回に引き続き、珍しい【この1冊!】(笑)
何故ならば、1冊ではなく2冊なので。
上下巻あわせて9月の第一位。
もしくは、『模倣犯』上下も含めて4冊あわせて、かな。
『模倣犯』の主要な登場人物の1人「前畑滋子」を中心に進んでいくんだけど、『模倣犯』を読んだのが学生時代だから、あんまり良く覚えていなくて、背景が明確に見えなくて、『模倣犯』の読み直しが必要だと『楽園』読みながら思った。
でも、たとえ『模倣犯』を読んでいなくても、十分ぐいぐい読み込ませるのが宮部みゆきの文章か。
で、『模倣犯』をあわせて再読(これは10月に入っているが)。
比べてしまうと、やっぱり『模倣犯』のほうが面白いと言わざるを得ない。
だけど、前畑滋子のシリーズだと思えば、時を重ねただけ環境も変わっているのもわかるし、これはこれなりの面白さがある。
『ドリーム・バスター』をはじめとするSF作家 宮部みゆきの作品群と、『模倣犯』ミステリ作家としての宮部みゆきの作品群は明らかにカラーが違う。
さらに言えば『お初』シリーズみたいな江戸物の作品群のカラーもある。
SF風味と歴史物風味を上手く併せ持った作品として『蒲生邸事件』は結構好きだけれど、現実に起こりうるように思える『模倣犯』と比べて、『楽園』は超能力少年をキーポイントにしている分現実離れしている感をぬぐえない。今回の超能力少年はSF風味というには社会派に近すぎる扱いだし、私は超能力って物を信じていない分、若干手放しではほめられん。
とはいえ。
上下間一気読みさせてくれた上、あんなに長い『模倣犯』上下まで一気に再読しようという気持ちにさせる宮部みゆきの文章力に脱帽です。
9月のブックレビューが今頃になったのは、デンマーク旅行記をひとまず書ききろうという狙いだったのだが、そのせいで、フレッシュな感想が出てこないのは痛し痒し。
著者:宮部 みゆき
前回に引き続き、珍しい【この1冊!】(笑)
何故ならば、1冊ではなく2冊なので。
上下巻あわせて9月の第一位。
もしくは、『模倣犯』上下も含めて4冊あわせて、かな。
『模倣犯』の主要な登場人物の1人「前畑滋子」を中心に進んでいくんだけど、『模倣犯』を読んだのが学生時代だから、あんまり良く覚えていなくて、背景が明確に見えなくて、『模倣犯』の読み直しが必要だと『楽園』読みながら思った。
でも、たとえ『模倣犯』を読んでいなくても、十分ぐいぐい読み込ませるのが宮部みゆきの文章か。
で、『模倣犯』をあわせて再読(これは10月に入っているが)。
比べてしまうと、やっぱり『模倣犯』のほうが面白いと言わざるを得ない。
だけど、前畑滋子のシリーズだと思えば、時を重ねただけ環境も変わっているのもわかるし、これはこれなりの面白さがある。
『ドリーム・バスター』をはじめとするSF作家 宮部みゆきの作品群と、『模倣犯』ミステリ作家としての宮部みゆきの作品群は明らかにカラーが違う。
さらに言えば『お初』シリーズみたいな江戸物の作品群のカラーもある。
SF風味と歴史物風味を上手く併せ持った作品として『蒲生邸事件』は結構好きだけれど、現実に起こりうるように思える『模倣犯』と比べて、『楽園』は超能力少年をキーポイントにしている分現実離れしている感をぬぐえない。今回の超能力少年はSF風味というには社会派に近すぎる扱いだし、私は超能力って物を信じていない分、若干手放しではほめられん。
とはいえ。
上下間一気読みさせてくれた上、あんなに長い『模倣犯』上下まで一気に再読しようという気持ちにさせる宮部みゆきの文章力に脱帽です。
9月のブックレビューが今頃になったのは、デンマーク旅行記をひとまず書ききろうという狙いだったのだが、そのせいで、フレッシュな感想が出てこないのは痛し痒し。
2007年夏休み?コペンハーゲン〜東京
2007年10月9日9/21(金)
結構いい天気。
ちょっと風は強いかな。
朝10時からLouiseは授業があるため、それに合わせて8時頃に起床。
グループホームは水周り共同なのだが、金曜のこの時間はまだ誰もシャワールームを使っていなかったので、Louiseと交代でシャワー。
Louiseがビーチサンダルを廊下履きにしている理由がよくわかった。
まるでユースホステルのシャワールームだわー。。。。
シャンプーとかリンスとかボディーソープとか、いちいち個室からシャワールームへ持ち込んで、シャワールームの片隅においてある椅子に着替えとか置いたりして。
ラジオでニュースを聞きながら朝ごはん。
SAYBIA(デンマークのバンド)がゲストで来ていたのはわかったが、
ニュースの内容はいまいち聞き取れず。
テレビのほうが画像が手がかりになる分楽だなー。。。。
中央駅行きのバスにLouiseと一緒に乗り、
途中で下車するLouiseとお別れ。
私は中央駅で降りて、Miaと待ち合わせ。
結局連日会うならMiaのとこ連泊すればいいんじゃ、というのは日本人の感覚。
せっかくデンマーク来たんだからうちにも泊まりにおいで〜っていうのがお客さん好きのデンマーク人の感覚かも。
もともとはMiaが前日夕方の仕事を休める保証がなかったからなんだけどね。
コペンハーゲン中央駅地下のコインロッカーにまたもやスーツケースを預け、本日は完全にお土産買出し。
ストロイエをそぞろ歩き、スーベニアショップでデンマークと日本の国旗をクロスさせたデザインのピンバッジ買ったり。
会社の先輩が集めてるクリスタルのレーザー彫刻(ってわかる?)の置物いろいろ見てみたり。
Bodumのショップでエコバッグとか友達への結婚祝い用キッチングッズとか買ったり。
途中でLouiseNも合流。
LouiseNは文化人類学を勉強していて、本日は午後から国立博物館でバイトの予定だったので、ストロイエ沿いは通勤途中に通る場所。
今回の旅行でのデンマーク最後のご飯は、
kongensNytorv(王様の新しい広場、という名の広場)でのホットドッグ屋台。
そしてNyhavnでのソフトクリーム(chokolade med)!!
これぞデンマークの夏〜って感じ。
いや、結構寒かったんだけども。。。。
ご飯あと、仕事へ行くLouiseNを見送り、Miaと一緒にMetroで一度Norreport駅まで行き、S-togに乗り換えて中央駅へ。
スーツケースを出して空港へ向かう。
コペンハーゲンのカストロップ空港では、
同じ飛行機で帰国するマイミク・ユリリーネと合流。
その合流までMiaは見届けてくれて、夕方から仕事のため、コペンハーゲンへ帰ってゆきました。
本当にいろいろありがとう!!!
ものすごく込んでいるチェックインカウンターで時間を取られ、
ユリリーネの友人が作ってくれたお弁当(サンドイッチ)をあわてて食べてパスポートコントロール通ったときには、もう出発まで1時間をきっていた。
あわてて職場用や大阪用のお土産のチョコレートなどを買い込み(笑)、
時刻どおりにSASの飛行機はデンマークを後にして一路東京へ。
帰りはいつもそうだけど7時間の時差がきつい。
夜が7時間短いことになるから。
機内食食べて、パイレーツオブカリビアン見て、ちょっと寝たらまた機内食。
そんなこんなで2時間も寝ないまま、土曜の朝の成田。
一気に10℃以上も暑い・・・・・・。
避暑というにはかなり寒かったけど、
5年ぶりのデンマークで、
心のトゲトゲがちょっと丸くなって、
かなりリフレッシュできた。
幸せな1週間でした。
しかし、夏休みにデンマークというえさを食べちゃった今、
なにめがけて仕事の日々をがんばればいいのやら。。。。。
結構いい天気。
ちょっと風は強いかな。
朝10時からLouiseは授業があるため、それに合わせて8時頃に起床。
グループホームは水周り共同なのだが、金曜のこの時間はまだ誰もシャワールームを使っていなかったので、Louiseと交代でシャワー。
Louiseがビーチサンダルを廊下履きにしている理由がよくわかった。
まるでユースホステルのシャワールームだわー。。。。
シャンプーとかリンスとかボディーソープとか、いちいち個室からシャワールームへ持ち込んで、シャワールームの片隅においてある椅子に着替えとか置いたりして。
ラジオでニュースを聞きながら朝ごはん。
SAYBIA(デンマークのバンド)がゲストで来ていたのはわかったが、
ニュースの内容はいまいち聞き取れず。
テレビのほうが画像が手がかりになる分楽だなー。。。。
中央駅行きのバスにLouiseと一緒に乗り、
途中で下車するLouiseとお別れ。
私は中央駅で降りて、Miaと待ち合わせ。
結局連日会うならMiaのとこ連泊すればいいんじゃ、というのは日本人の感覚。
せっかくデンマーク来たんだからうちにも泊まりにおいで〜っていうのがお客さん好きのデンマーク人の感覚かも。
もともとはMiaが前日夕方の仕事を休める保証がなかったからなんだけどね。
コペンハーゲン中央駅地下のコインロッカーにまたもやスーツケースを預け、本日は完全にお土産買出し。
ストロイエをそぞろ歩き、スーベニアショップでデンマークと日本の国旗をクロスさせたデザインのピンバッジ買ったり。
会社の先輩が集めてるクリスタルのレーザー彫刻(ってわかる?)の置物いろいろ見てみたり。
Bodumのショップでエコバッグとか友達への結婚祝い用キッチングッズとか買ったり。
途中でLouiseNも合流。
LouiseNは文化人類学を勉強していて、本日は午後から国立博物館でバイトの予定だったので、ストロイエ沿いは通勤途中に通る場所。
今回の旅行でのデンマーク最後のご飯は、
kongensNytorv(王様の新しい広場、という名の広場)でのホットドッグ屋台。
そしてNyhavnでのソフトクリーム(chokolade med)!!
これぞデンマークの夏〜って感じ。
いや、結構寒かったんだけども。。。。
ご飯あと、仕事へ行くLouiseNを見送り、Miaと一緒にMetroで一度Norreport駅まで行き、S-togに乗り換えて中央駅へ。
スーツケースを出して空港へ向かう。
コペンハーゲンのカストロップ空港では、
同じ飛行機で帰国するマイミク・ユリリーネと合流。
その合流までMiaは見届けてくれて、夕方から仕事のため、コペンハーゲンへ帰ってゆきました。
本当にいろいろありがとう!!!
ものすごく込んでいるチェックインカウンターで時間を取られ、
ユリリーネの友人が作ってくれたお弁当(サンドイッチ)をあわてて食べてパスポートコントロール通ったときには、もう出発まで1時間をきっていた。
あわてて職場用や大阪用のお土産のチョコレートなどを買い込み(笑)、
時刻どおりにSASの飛行機はデンマークを後にして一路東京へ。
帰りはいつもそうだけど7時間の時差がきつい。
夜が7時間短いことになるから。
機内食食べて、パイレーツオブカリビアン見て、ちょっと寝たらまた機内食。
そんなこんなで2時間も寝ないまま、土曜の朝の成田。
一気に10℃以上も暑い・・・・・・。
避暑というにはかなり寒かったけど、
5年ぶりのデンマークで、
心のトゲトゲがちょっと丸くなって、
かなりリフレッシュできた。
幸せな1週間でした。
しかし、夏休みにデンマークというえさを食べちゃった今、
なにめがけて仕事の日々をがんばればいいのやら。。。。。
2007年夏休み?コペンハーゲン(デンマーク)
2007年10月7日コメント (2)9/20(木)
曇り時々にわか雨。
本日は大移動をせずにコペンハーゲン(以下、コペン)終日。
翌日の午後の便で帰国だし、お土産類の買出しもしなくては。
朝、9:00に目覚ましかけたつもりが8:00になる私の携帯。。。。
えーそうです、時差計算間違えたのだ。
えーい、サマータイムに惑わされるなんて、しょぼーい。
Miaと二人、もうちょっと寝よう、といってベッドの中でもぞもぞ。
結局おきたのは9:30過ぎ。
居間で寝てくれたNathan(Miaの彼氏)もお休みなんだけど、
自主制作のヒップホップのCDをどこかへ提出してて、その結果が今日来るとのことでなんつーかナーバスになってたみたい。
我々が起きだすのと入れ替わりで、寝室で布団かぶっちゃった。
あらま。
この日最初に行ったのは、Miaの仕事場。
5年前の夏休みにLisおばちゃんのとこに泊まりに行ったときもそうだったけど、デンマーク人はお客さんが遠くから来ると、自分の仕事場見せたり同僚に紹介したりするのが普通のことみたいだ。
日本では、というかうちの業界じゃセキュリティ上考えにくいのだが。
それはともかく、幼稚園。
Miaは幼稚園の先生(保母かも)なのね。
私が来るからってことで休暇をとってくれてたし、そもそもこの日は園外保育(という言葉は正しいのかわからんけど)の日だったから、小学校入学直前のクラスの10数人しか子供がいなかった。
先生の描いた地図を頼りにお庭で宝探しして穴掘ったり、みんなすごく元気。10数人しかいないけど、国籍は6カ国だそうだ。
本当に移民が増えているってのをも実感する。
あまりにもかわいい幼稚園だったので、「写真取らせてもらえないかな?」と聞いたのだけど、Miaの上司のおばちゃん曰く「親御さんの承諾がなければ駄目よ」って。
あとからMiaに聞いたところでは、デンマークでも子供狙いの変質者とかが問題になっているらしく、部外者が撮った写真がネットに流されたりすると大問題になるってことらしい。
日本もデンマークも同じだね。
物騒な世の中だこと。。。。
幼稚園訪問のあとは、お買い物。
スーパーでleverpøstej(レバーパテ)の缶詰やら鯖のトマト煮の缶詰やらタラコ蒸したやつの缶詰やらデンマークならではの食材を買い込む。
日本でも探せば買えないことはないけど、高いしね。。。
Tigerていう10クローネショップ、5年前の感覚では150円均一だけど、今のレートだと220円均一・・・高いな。。。。
10クローネ以下の雑貨とかも置いてあるSøstreneGrene(グレーネ姉妹の店)も健在だったから、そこでキッチングッズを買いあさってみたり。
どことなく日本で買うのよりデザインが北欧っぽいのよね。。。
遊び心の違いか、自分の家をhygge(居心地よく?)にしようというデンマーク人の心意気なのかな。
ひとしきりお買い物した後行ったのは、クリスチャニア。
ちょっとした興味の好奇心で解放区へ。
クリスチャニアを解放区と呼ぶのは、おそらくは正しくない。
デンマークのコペンハーゲン市の中に位置はするが、行政管理下ではない。自治区、というのが正しいのか。
7年前(!)にホームステイさせてもらったボーンホルム島在住の彫刻家JUNさんがコペンでお勧めといっていたのがここ。
若い頃一時期住み着いていたこともあると言っていて、芸術家とかが集まってる解放区だよ、と表現していた。
クリスチャニア特有の美的センスで建てられた家とか、面白いものがいっぱいあるよ、と。
5年前、1年間もデンマークにいたのにクリスチャニアの内側へ入らなかったのは、まだ私も若くて、怖がりで、「普通の」デンマーク生活が精一杯だったから。
クリスチャニア特有の美的センスで建てられた家とか、面白いものがいっぱいあるってのは嘘じゃない。
壁のペイントだけでもかなり個性的だし、おうちを外から見て歩くだけでも面白い。
「夢のケーキ」という名のケーキもおいしかったし、ベジタリアンカフェのご飯もおいしかった。
クリスチャニアバイク(ベビーカーつき自転車みたいな感じ?)とか、エコ活動家とかにも人気があるのはうなずける。
だけど。
やっぱりカルチャーショック。
デンマークにハマってもう9年近く。
いまさら驚かされるようなものがあるなんて思ってなかったのは、完全に天狗になってたわー。
すごい数の野良犬。
雨が降っていたせいもあるけど、雰囲気がちょっと怖い。
クリスチャニアを「普通じゃない」と位置づけるのは、ここでは、「葉っぱ」を買えて、「葉っぱ」の煙が漂うから。
ここに住み着いている人以外が、特に旅行者が来るのは「葉っぱ」が目当ての人が大半だから、とMiaは言う。
警察とたびたび衝突してて、もしかしたら職務質問されるかもよ、だって。やはりコペン市当局としては管理下に置きたいらしい。
あんまり、ガイドブックには書いていないことだけどね。
アーチ型の入り口には「ようこそクリスチャニアへ」。
クリスチャニア側からそのアーチを見れば「ようこそ、EUへ」と書いてある。
コペンの行政下でない以上、EUにも参加してないという主張(笑)。
天気のいい日に来たら違う表情ののクリスチャニアを見れたのかな。。。
そんなカルチャーショックを受けたあと、一度Miaのおうちに帰る。
スキマスイッチのアルバムをNathanにあげたら喜んでくれた。
音楽好きは国境を越えるね、なーんて。
私のスーツケースとMiaの自転車とともにタクシーでLouiseBBA宅へ。
歩いても20分程度なんだけど、雨も降って足しバスの便がちょっと悪いから、ということで。
この国の自転車率の高さは前に書いたかと思うけど、普通のTAXIに自転車を載せるための器具が常備してあるもんねー。あなどれん。
今回の旅、デンマークで過ごす最後の夜は、LouseBBAのおうちにLouiseNも合流し手作りのキッシュでお夕飯。
LouiseBBAはグループホームなるものにすんでいる。
普通の集合住宅の最上階が、共同のキッチンやお風呂などの水周り+各個人の個室という形式のグループホームになっている。
住んでいるのはほとんど大学生で、外大のもみじ寮を髣髴とさせる、という感じ。(で、伝わる?)
大学構内ではないけど、寮みたいな感じの共同生活だね。
6畳程度の個室にベッドとテーブルと洋服ダンスと・・・ていうのは日本の大学生とそう大差ないかも。
キャンドルとか明かりの使い方がとってもデンマーク的で居心地良くなるように工夫されてて、すごくLouiseぽかった。
デザートの頃にSofieも来て、金平糖を試したり、チロルチョコのイチゴ大福味に疑問を感じたり。
こうしてデンマーク最後の夜も楽しくふけていったのでした。
(あーあと1回で旅日記終わる!読むほうも大変だろうが、書くのももう疲れた!!)
曇り時々にわか雨。
本日は大移動をせずにコペンハーゲン(以下、コペン)終日。
翌日の午後の便で帰国だし、お土産類の買出しもしなくては。
朝、9:00に目覚ましかけたつもりが8:00になる私の携帯。。。。
えーそうです、時差計算間違えたのだ。
えーい、サマータイムに惑わされるなんて、しょぼーい。
Miaと二人、もうちょっと寝よう、といってベッドの中でもぞもぞ。
結局おきたのは9:30過ぎ。
居間で寝てくれたNathan(Miaの彼氏)もお休みなんだけど、
自主制作のヒップホップのCDをどこかへ提出してて、その結果が今日来るとのことでなんつーかナーバスになってたみたい。
我々が起きだすのと入れ替わりで、寝室で布団かぶっちゃった。
あらま。
この日最初に行ったのは、Miaの仕事場。
5年前の夏休みにLisおばちゃんのとこに泊まりに行ったときもそうだったけど、デンマーク人はお客さんが遠くから来ると、自分の仕事場見せたり同僚に紹介したりするのが普通のことみたいだ。
日本では、というかうちの業界じゃセキュリティ上考えにくいのだが。
それはともかく、幼稚園。
Miaは幼稚園の先生(保母かも)なのね。
私が来るからってことで休暇をとってくれてたし、そもそもこの日は園外保育(という言葉は正しいのかわからんけど)の日だったから、小学校入学直前のクラスの10数人しか子供がいなかった。
先生の描いた地図を頼りにお庭で宝探しして穴掘ったり、みんなすごく元気。10数人しかいないけど、国籍は6カ国だそうだ。
本当に移民が増えているってのをも実感する。
あまりにもかわいい幼稚園だったので、「写真取らせてもらえないかな?」と聞いたのだけど、Miaの上司のおばちゃん曰く「親御さんの承諾がなければ駄目よ」って。
あとからMiaに聞いたところでは、デンマークでも子供狙いの変質者とかが問題になっているらしく、部外者が撮った写真がネットに流されたりすると大問題になるってことらしい。
日本もデンマークも同じだね。
物騒な世の中だこと。。。。
幼稚園訪問のあとは、お買い物。
スーパーでleverpøstej(レバーパテ)の缶詰やら鯖のトマト煮の缶詰やらタラコ蒸したやつの缶詰やらデンマークならではの食材を買い込む。
日本でも探せば買えないことはないけど、高いしね。。。
Tigerていう10クローネショップ、5年前の感覚では150円均一だけど、今のレートだと220円均一・・・高いな。。。。
10クローネ以下の雑貨とかも置いてあるSøstreneGrene(グレーネ姉妹の店)も健在だったから、そこでキッチングッズを買いあさってみたり。
どことなく日本で買うのよりデザインが北欧っぽいのよね。。。
遊び心の違いか、自分の家をhygge(居心地よく?)にしようというデンマーク人の心意気なのかな。
ひとしきりお買い物した後行ったのは、クリスチャニア。
ちょっとした興味の好奇心で解放区へ。
クリスチャニアを解放区と呼ぶのは、おそらくは正しくない。
デンマークのコペンハーゲン市の中に位置はするが、行政管理下ではない。自治区、というのが正しいのか。
7年前(!)にホームステイさせてもらったボーンホルム島在住の彫刻家JUNさんがコペンでお勧めといっていたのがここ。
若い頃一時期住み着いていたこともあると言っていて、芸術家とかが集まってる解放区だよ、と表現していた。
クリスチャニア特有の美的センスで建てられた家とか、面白いものがいっぱいあるよ、と。
5年前、1年間もデンマークにいたのにクリスチャニアの内側へ入らなかったのは、まだ私も若くて、怖がりで、「普通の」デンマーク生活が精一杯だったから。
クリスチャニア特有の美的センスで建てられた家とか、面白いものがいっぱいあるってのは嘘じゃない。
壁のペイントだけでもかなり個性的だし、おうちを外から見て歩くだけでも面白い。
「夢のケーキ」という名のケーキもおいしかったし、ベジタリアンカフェのご飯もおいしかった。
クリスチャニアバイク(ベビーカーつき自転車みたいな感じ?)とか、エコ活動家とかにも人気があるのはうなずける。
だけど。
やっぱりカルチャーショック。
デンマークにハマってもう9年近く。
いまさら驚かされるようなものがあるなんて思ってなかったのは、完全に天狗になってたわー。
すごい数の野良犬。
雨が降っていたせいもあるけど、雰囲気がちょっと怖い。
クリスチャニアを「普通じゃない」と位置づけるのは、ここでは、「葉っぱ」を買えて、「葉っぱ」の煙が漂うから。
ここに住み着いている人以外が、特に旅行者が来るのは「葉っぱ」が目当ての人が大半だから、とMiaは言う。
警察とたびたび衝突してて、もしかしたら職務質問されるかもよ、だって。やはりコペン市当局としては管理下に置きたいらしい。
あんまり、ガイドブックには書いていないことだけどね。
アーチ型の入り口には「ようこそクリスチャニアへ」。
クリスチャニア側からそのアーチを見れば「ようこそ、EUへ」と書いてある。
コペンの行政下でない以上、EUにも参加してないという主張(笑)。
天気のいい日に来たら違う表情ののクリスチャニアを見れたのかな。。。
そんなカルチャーショックを受けたあと、一度Miaのおうちに帰る。
スキマスイッチのアルバムをNathanにあげたら喜んでくれた。
音楽好きは国境を越えるね、なーんて。
私のスーツケースとMiaの自転車とともにタクシーでLouiseBBA宅へ。
歩いても20分程度なんだけど、雨も降って足しバスの便がちょっと悪いから、ということで。
この国の自転車率の高さは前に書いたかと思うけど、普通のTAXIに自転車を載せるための器具が常備してあるもんねー。あなどれん。
今回の旅、デンマークで過ごす最後の夜は、LouseBBAのおうちにLouiseNも合流し手作りのキッシュでお夕飯。
LouiseBBAはグループホームなるものにすんでいる。
普通の集合住宅の最上階が、共同のキッチンやお風呂などの水周り+各個人の個室という形式のグループホームになっている。
住んでいるのはほとんど大学生で、外大のもみじ寮を髣髴とさせる、という感じ。(で、伝わる?)
大学構内ではないけど、寮みたいな感じの共同生活だね。
6畳程度の個室にベッドとテーブルと洋服ダンスと・・・ていうのは日本の大学生とそう大差ないかも。
キャンドルとか明かりの使い方がとってもデンマーク的で居心地良くなるように工夫されてて、すごくLouiseぽかった。
デザートの頃にSofieも来て、金平糖を試したり、チロルチョコのイチゴ大福味に疑問を感じたり。
こうしてデンマーク最後の夜も楽しくふけていったのでした。
(あーあと1回で旅日記終わる!読むほうも大変だろうが、書くのももう疲れた!!)
2007年夏休み?Rønde〜コペンハーゲン(デンマーク)
2007年10月6日9/19(水)
雨は降っていないもののどんより曇り空、そして寒い。
これで途中雨降るところがデンマークの秋空!
8:30にTaschaが迎えに来てくれて、スーツケースをガラガラ引きずりながらMaleneのおうちへ向かう。
石畳の歩道はスーツケースに向かないが、舗装された自転車道だと危険だしね。
デンマークは国土の最高海抜が127m程度なので、基本的に平坦で、自転車普及率がすごい。自転車でデンマーク1週とか、結構平気でやる人も多いのだ。
Maleneと合流し、いざ懐かしのRøndeHæjskoleへ!
RøndeHæjskoleは私の行ってた2つ目のデンマークの学校、と前も書いたけど、無理やりカタカナで書くなら、オンデホイスコーレ。Røndeという名前の街にある国民高等学校(FolkeHæjskole)。
国民高等学校、というものが日本の教育機関の概念にはないからちょっと難しいのだけど、グルントヴィという人が農業国デンマークの農閑期生涯学習学校として19世紀中頃に始めたもの、だったと思う。
一応義務教育以上の成人を対象とした全寮制の学校で、入学資格は特になし。一般的には2ヶ月/4ヶ月くらいが1タ−ム。文学、美術、工業技術、体育など科目は学校によっていろいろ。
私はデンマーク語のクラスや音楽クラス、ガラス(コールドグラス)でお皿作ったり織物作るようなクラスも取ってた。
入学資格がないのと同じく、卒業時に得られる資格もなし。
つまり、非常に自由である分、自分で時間の使い方とか全寮制での暮らし方とか、過保護な日本の学生生活とは一線を画すもの、だと思う。
デンマークでは高校卒業後大学(など)入学前に最低6ヶ月の社会生活を必要とするから、その期間をホイスコーレ過ごしたりもするのね。大体18〜23くらいの子が多かったかな、と思う。
5年前はね。
RøndeHæjskoleは4ヶ月くらいホイスコーレで勉強したあと、2〜4ヶ月くらいアフリカ・アジア・東欧へボランティア活動へ行くって言うのがデンマーク人のためのメインだった。もともとがかなりキリスト教職の強い学校で。(グルントヴィ自身がキリスト教者だという歴史を除外してもなお、ね)
その他にデンマーク語のコースがあって、日本人は私一人だったけど、中国やラトビアの子がいたり、アフガニスタンやソマリア、イラクからの難民の子もいた。
そんな学校だからこそなのか、難民キャンプ(デンマークへ難民申請をしている人たちが認定待ちをしている間共同生活をしているセンター)訪問とか、いろんなことをした。
それはそれとして。
5年ぶりの学校は、Efterstole(これも本当は説明が必要だが、全寮制中学みたいなもの)部分が改装されていたけど、基本は全然変わってなかった。
10:00ころに先生たちとお茶して、校長先生のOle や奥さんのUlla、家庭科(テキスタイルとか)のMarianne、体育のGunnarに会って、デンマーク語のHellaや音楽のNicollajとか、当日いなかった先生の近況を聞いたりした。
そのあと、samlingでちょっとした聖書の話聞いて、Marianneの事業に参加して手を動かしてカード作りながら今の生徒たちとおしゃべりしたり。
相変わらずMarianneは「ライコ」「ターシェ」と呼んで、いくら「レイコ」と「タシャ」だっつっても直してくれなかったけど、それもまた相変わらずのMarianneだった(笑)
ランチも5年ぶりにホイスコーレの食堂でとり、それもまた懐かしかった。私たちがほとんど毎日遊んでた生徒の居間は改装されてきれいになりすぎてて違和感あったけど(笑)、ボードサッカー台とか、ビリヤード台とか、壊れかけピアノは相変わらず。
かつての我々の部屋(2人部屋)は見れなかったけど、十分に懐かしかった。
Taschaは卒業制作のためにMarianneに協力をお願いして、来週また来る約束をしていた。いいな。。。。
午後は、Line888というバスでコペンハーゲンへ向かう。
このバスはRøndeのあとEbeltoftを経由してフェリーに乗り、コペンハーゲンのあるシェラン島に渡り、またバスでRoskile(世界遺産の大聖堂のある街)経由でコペンハーゲンへ向かう。
この日は海が大揺れで、普段船酔いしない私もちょっと気持ち悪くなった。しかも寒いし。。。
でも、後半のバスの中で寝てたらようやく落ちついた。
終点のコペンハーゲン(S-togのValby駅)にMiaが迎えに来てくれていて、そこからS-tog(デンマーク国鉄DSBの首都近郊列車)でコペンハーゲン中央駅へ。
またもや待ち合わせは大時計下だったんだけど、ちょっと時間があったから地下のコインロッカーへスーツケース預ける。(今回は、機内持ち込みぎりぎり不可の小さなスーツケースだったから、大概のコインロッカーは使用可能だったのだ)
まずはLouise.NとLouise.BBAと合流。
Louiseって非常にメジャーな名前なので、ちょっと紛らわしい(笑)。学校にいたときはさらにもう一人いて、それぞれNygård、Nilsen、B.B.Andersen(B.B.は何の略か忘れた。)と呼ばれてたりした。
BBAとMiaは3年前に日本に遊びに来たけど、Nとは5年ぶりで、金髪を茶色く染めてるし、髪は伸ばしてるし、雰囲気がちょっと変わっててびっくりした。
ま、私も5年前は髪長かったしメガネかけてたし、お互い様なんだけどねー。
4人でSofieを待つ。
私以外の3人もSofieとは5年ぶりだった。
150cmくらいとデンマーク人としては驚くほど小柄で、金髪のくるくる巻き毛に青緑の目のソフィーちゃん。
生粋のコペンハーゲン子だからなのか、ユランの田舎の学校ではちょっと浮いてて(苦笑)、めちゃくちゃな早口が聞き取りに苦労するんだけど、結構まめにメールをくれていたので、今回はソフィーにも会いたいって言ったのは私。
再会したソフィーは、なんと言うかやせたというよりやつれているように見え、小柄な体がさらに小さくなって、対比的に目が大きくなって、今回再会した誰よりも変化具合が大きかった。
でも中身は相変わらずでしゃべりっぷりは相変わらず早口だし、元気そうで安心した。
5人でメキシコ料理を食べ、夜は2005年に完成したOperaen(国立オペラハウス)へ!
これも私のリクエストで、2002年にはなかった建物だし、すごくモダンだという噂だから見てみたい、と言ってたのね。
そしたらなんと、立見席だから安いしって言って4人が私の分をおごってくれました。(嬉)
オペラ見るのではないバックステージツアーはかなり開催日が限定されてて、今回はムリだったし、と言うことで、今回は「Hoffmans eventyr http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3%E7%89%A9%E8%AA%9E」を鑑賞。
しかも、立見席料金だけど、水曜日は空席が多いってことで空いてる席に座らせてもらえた!
オッフェンバックの作品なので、台詞や歌は基本フランス語、字幕でデンマーク語が流れる形式。
1幕目は何とか台詞の意味も追えたけど、2幕目以降は半分くらいあきらめて舞台の流れだけ追ってました(笑)
パンフレット買ったし、あとで辞書片手に読もうーと。(いや、読んでないんだけど、まだ)
まあ、演出としてはかなり現代的だったね。
映画館(劇場かも)で、ホフマンの昔語りを聞いてるかのようなセット組みで始まったし。
立見席のすぐ前の座席からは、オーケストラピットが良く見えたけど、角度が急すぎて、ラストのミューズ登場は光しか見えなかった。あぅ。
結局終わったのは11時とかで、中央駅に荷物を取りに行き、Mia(と彼氏Nathan)のおうちに着いたのは日付を越えてからだった。アイルランド系のNathan氏がまたいい人で、Miaとはいいカップル。
Miaも仕事してから私を迎えにきて、Operaenというハードスケジュールだったので、この日はぐったりして寝たのでした。
雨は降っていないもののどんより曇り空、そして寒い。
これで途中雨降るところがデンマークの秋空!
8:30にTaschaが迎えに来てくれて、スーツケースをガラガラ引きずりながらMaleneのおうちへ向かう。
石畳の歩道はスーツケースに向かないが、舗装された自転車道だと危険だしね。
デンマークは国土の最高海抜が127m程度なので、基本的に平坦で、自転車普及率がすごい。自転車でデンマーク1週とか、結構平気でやる人も多いのだ。
Maleneと合流し、いざ懐かしのRøndeHæjskoleへ!
RøndeHæjskoleは私の行ってた2つ目のデンマークの学校、と前も書いたけど、無理やりカタカナで書くなら、オンデホイスコーレ。Røndeという名前の街にある国民高等学校(FolkeHæjskole)。
国民高等学校、というものが日本の教育機関の概念にはないからちょっと難しいのだけど、グルントヴィという人が農業国デンマークの農閑期生涯学習学校として19世紀中頃に始めたもの、だったと思う。
一応義務教育以上の成人を対象とした全寮制の学校で、入学資格は特になし。一般的には2ヶ月/4ヶ月くらいが1タ−ム。文学、美術、工業技術、体育など科目は学校によっていろいろ。
私はデンマーク語のクラスや音楽クラス、ガラス(コールドグラス)でお皿作ったり織物作るようなクラスも取ってた。
入学資格がないのと同じく、卒業時に得られる資格もなし。
つまり、非常に自由である分、自分で時間の使い方とか全寮制での暮らし方とか、過保護な日本の学生生活とは一線を画すもの、だと思う。
デンマークでは高校卒業後大学(など)入学前に最低6ヶ月の社会生活を必要とするから、その期間をホイスコーレ過ごしたりもするのね。大体18〜23くらいの子が多かったかな、と思う。
5年前はね。
RøndeHæjskoleは4ヶ月くらいホイスコーレで勉強したあと、2〜4ヶ月くらいアフリカ・アジア・東欧へボランティア活動へ行くって言うのがデンマーク人のためのメインだった。もともとがかなりキリスト教職の強い学校で。(グルントヴィ自身がキリスト教者だという歴史を除外してもなお、ね)
その他にデンマーク語のコースがあって、日本人は私一人だったけど、中国やラトビアの子がいたり、アフガニスタンやソマリア、イラクからの難民の子もいた。
そんな学校だからこそなのか、難民キャンプ(デンマークへ難民申請をしている人たちが認定待ちをしている間共同生活をしているセンター)訪問とか、いろんなことをした。
それはそれとして。
5年ぶりの学校は、Efterstole(これも本当は説明が必要だが、全寮制中学みたいなもの)部分が改装されていたけど、基本は全然変わってなかった。
10:00ころに先生たちとお茶して、校長先生のOle や奥さんのUlla、家庭科(テキスタイルとか)のMarianne、体育のGunnarに会って、デンマーク語のHellaや音楽のNicollajとか、当日いなかった先生の近況を聞いたりした。
そのあと、samlingでちょっとした聖書の話聞いて、Marianneの事業に参加して手を動かしてカード作りながら今の生徒たちとおしゃべりしたり。
相変わらずMarianneは「ライコ」「ターシェ」と呼んで、いくら「レイコ」と「タシャ」だっつっても直してくれなかったけど、それもまた相変わらずのMarianneだった(笑)
ランチも5年ぶりにホイスコーレの食堂でとり、それもまた懐かしかった。私たちがほとんど毎日遊んでた生徒の居間は改装されてきれいになりすぎてて違和感あったけど(笑)、ボードサッカー台とか、ビリヤード台とか、壊れかけピアノは相変わらず。
かつての我々の部屋(2人部屋)は見れなかったけど、十分に懐かしかった。
Taschaは卒業制作のためにMarianneに協力をお願いして、来週また来る約束をしていた。いいな。。。。
午後は、Line888というバスでコペンハーゲンへ向かう。
このバスはRøndeのあとEbeltoftを経由してフェリーに乗り、コペンハーゲンのあるシェラン島に渡り、またバスでRoskile(世界遺産の大聖堂のある街)経由でコペンハーゲンへ向かう。
この日は海が大揺れで、普段船酔いしない私もちょっと気持ち悪くなった。しかも寒いし。。。
でも、後半のバスの中で寝てたらようやく落ちついた。
終点のコペンハーゲン(S-togのValby駅)にMiaが迎えに来てくれていて、そこからS-tog(デンマーク国鉄DSBの首都近郊列車)でコペンハーゲン中央駅へ。
またもや待ち合わせは大時計下だったんだけど、ちょっと時間があったから地下のコインロッカーへスーツケース預ける。(今回は、機内持ち込みぎりぎり不可の小さなスーツケースだったから、大概のコインロッカーは使用可能だったのだ)
まずはLouise.NとLouise.BBAと合流。
Louiseって非常にメジャーな名前なので、ちょっと紛らわしい(笑)。学校にいたときはさらにもう一人いて、それぞれNygård、Nilsen、B.B.Andersen(B.B.は何の略か忘れた。)と呼ばれてたりした。
BBAとMiaは3年前に日本に遊びに来たけど、Nとは5年ぶりで、金髪を茶色く染めてるし、髪は伸ばしてるし、雰囲気がちょっと変わっててびっくりした。
ま、私も5年前は髪長かったしメガネかけてたし、お互い様なんだけどねー。
4人でSofieを待つ。
私以外の3人もSofieとは5年ぶりだった。
150cmくらいとデンマーク人としては驚くほど小柄で、金髪のくるくる巻き毛に青緑の目のソフィーちゃん。
生粋のコペンハーゲン子だからなのか、ユランの田舎の学校ではちょっと浮いてて(苦笑)、めちゃくちゃな早口が聞き取りに苦労するんだけど、結構まめにメールをくれていたので、今回はソフィーにも会いたいって言ったのは私。
再会したソフィーは、なんと言うかやせたというよりやつれているように見え、小柄な体がさらに小さくなって、対比的に目が大きくなって、今回再会した誰よりも変化具合が大きかった。
でも中身は相変わらずでしゃべりっぷりは相変わらず早口だし、元気そうで安心した。
5人でメキシコ料理を食べ、夜は2005年に完成したOperaen(国立オペラハウス)へ!
これも私のリクエストで、2002年にはなかった建物だし、すごくモダンだという噂だから見てみたい、と言ってたのね。
そしたらなんと、立見席だから安いしって言って4人が私の分をおごってくれました。(嬉)
オペラ見るのではないバックステージツアーはかなり開催日が限定されてて、今回はムリだったし、と言うことで、今回は「Hoffmans eventyr http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3%E7%89%A9%E8%AA%9E」を鑑賞。
しかも、立見席料金だけど、水曜日は空席が多いってことで空いてる席に座らせてもらえた!
オッフェンバックの作品なので、台詞や歌は基本フランス語、字幕でデンマーク語が流れる形式。
1幕目は何とか台詞の意味も追えたけど、2幕目以降は半分くらいあきらめて舞台の流れだけ追ってました(笑)
パンフレット買ったし、あとで辞書片手に読もうーと。(いや、読んでないんだけど、まだ)
まあ、演出としてはかなり現代的だったね。
映画館(劇場かも)で、ホフマンの昔語りを聞いてるかのようなセット組みで始まったし。
立見席のすぐ前の座席からは、オーケストラピットが良く見えたけど、角度が急すぎて、ラストのミューズ登場は光しか見えなかった。あぅ。
結局終わったのは11時とかで、中央駅に荷物を取りに行き、Mia(と彼氏Nathan)のおうちに着いたのは日付を越えてからだった。アイルランド系のNathan氏がまたいい人で、Miaとはいいカップル。
Miaも仕事してから私を迎えにきて、Operaenというハードスケジュールだったので、この日はぐったりして寝たのでした。
2007年夏休み?Egtved〜オーフス(デンマーク)
2007年9月30日9/18(火)
朝からめちゃくちゃいい天気!
musli(いろんな穀物やドライフルーツやナッツ類が混ざったコーンフレークみたいなもの)とヨーグルト(無脂肪からフルーツ入りまでいろんな種類を1Lの牛乳パックで買える)、というこれもまた典型的なデンマークの朝ごはんを食べる。
Betinaも私も起きたのが8:00過ぎだったので、当然他の家族は既に仕事に行っていた。
デンマークの仕事のコアタイムは8:00〜16:00だからね。
法律上、週37か38時間までしか働いちゃいけないから、5日間コアタイムで働いたら、残業できるのは2〜3時間だよね。
いいな・・・。
その上年6週間の休暇をとるのが普通で、職種によっては7週間目の休暇が必要だとかいってストライキまで起こすんだから、
デンマーク人恐るべしだわー。
しまった、旅行記のはずが横道にそれた。。。
午前中はまず、Egtved近くの小さな村ビネバルへ。
日本にビネバル出版ていう小さな北欧関係書籍を発行したりする出版社があるのご存知?
その会社の名前はこの村から来ているのね。
あまりにも小さな村だから、ユラン半島のどこに位置するのかもよくわかってなかったんだけど、たまたまEgtvedの近くだったのだ。
森の中をお散歩して、牧場の馬や羊や牛を眺めたりしてると、普段東京でカリカリしながら仕事しててできた心のとげがどんどん丸くなっていくみたい。
そんなことをBetinaに言うと、『新鮮な空気の中でいるだけで違うよね』って。
デンマーク人でもそう思うんだなぁ。
九州の面積に福岡県民の人口しかいないようなものなのだけどね、デンマークって。基本的にコペンハーゲンやオーフスみたいな都会だって、東京や大阪なんかとは比べ物にならないくらい規模が小さくて、空気がきれいだと思えるんだけどね、日本人には。
お散歩のあとには、KøbmandsMuseumという昔の商人たちの集まる場所だった(旅籠みたいなもの?)お店にふるーいおもちゃからお酒やタバコのパッケージや計りから木靴までレトロなもの集めたプチ博物館へ。
もともとがお店だから、ホントに小さい。
そして、1階ではそういうレトロなもののレプリカからお菓子やお茶を販売してる。
一番印象に残ったのは、第2次大戦中の配給券とかの展示。(腐っても北欧歴史ゼミ魂)
日本ではお米であったところが、やっぱり小麦とか他の穀物なんだなーってのと、注目すべきは『コーヒー券』。コーヒーっていうなれば嗜好品だから、わざわざ平等に配給するものではないような高級品なのかと思えば、コーヒーがなくちゃ生きていけないのがデンマーク人か。。。
今時の若いデンマークの女の子たちこそハーブティーとかを好むけど、ちょっと年上のデンマーク人は泥のように濃いコーヒー好きで飲んでるもんなー。。。。
プチ博物館のあとは、EgtvedPigen(http://da.wikipedia.org/wiki/Egtvedpigen)という青銅器時代(3300年くらい前)に18歳だった女の子が発掘された古墳(の様なもの)へ。
本物の木棺とか装飾品はコペンハーゲンの国立博物館で展示されているので、ここにあるのは説明版とレプリカと丘(古墳)。
モーセゴー博物館のグロウバレマン(泥炭地のミイラhttp://www.moesmus.dk/page.asp?objectid=242&zcs=4)みたいなリアルな人体が展示されてるわけじゃないから、普通に登呂遺跡見てるようなものだね。
そんな感じでちょっとした歴史ツアーをした後、今度はEgtvedの街をお散歩して、500年以上前の協会が今でも現役であることに感心したり(ヨーロッパの教会としては特に古いわけでもないけど)しつつ、ス―パーでお昼ご飯用のleverpøstej(レバーパテ)やパプリカ(日本よりはるかに安い)を買って、Betinaのおうちへ帰った。
お昼ご飯食べてちょっとゆっくりしたらもう14時過ぎで、Vejleからオーフス(Århus、デンマーク第2の都市)へ向かう予定から考えると、もうあんまり時間がなかった。
Betinaは今夜オーデンセで約束があるということで、Vejle駅に寄ってもらうことに。
今度はVibekeと一緒に日本に行くからね、というBetinaと名残を惜しみ、17:00のオーフス駅での待ち合わせのため、また列車に乗り込んだのでした。
私がかつていた2個目の学校RøndeHæjskoleはオーフス郊外の小さな街にあったので、今でもオーフスの大学に行ってたりオーフスで働いている友達が多い。
今回は、Lise(と彼氏)のうちに泊まらせてもらうことになって、Lise宅にLotte、Lisbeth,Tascha.Maleneが夕食会に集まった。
Liseはこの秋から学校の先生になって、コレギア(大学の寮みたいなもの)から引っ越して新しいお部屋で彼氏と暮らし始めたところ。まだ誰も遊びに行ったことがないからちょうどいい、ということになったらしい。
しかし、この面子で月2〜3日も集まってるってのはうらやましい。。。。
みんなでわいわいがやがやとLise手作りのフリカデーラ(デンマーク伝統料理のミートボール)とジャガイモ、サラダ、そしてデザートのりんごケーキを食べつつ色々話す。
私が働きすぎ(デンマークの『普通』と比べて)な話や、ホイスコーレの同窓会は、若者がうるさいしお年寄りが先生たちを独占するから、うちの代だけでやろうとしてる話やら、Irene先生がエチオピア人の3姉弟を養子にした話で盛り上がって楽しかった。
そして、話の流れで翌日私がコペンハーゲンに戻る前に暇があったTaschaとMeleneとRøndeHæjskoleへ遊びに行こうってことになり、早速TaschaはOle(校長先生)に電話をかけ、Liseの彼氏はRøndeからコペンハーゲンへの一番早くて楽で安い行きかたを調べてくれたうえに、バス+フェリーの予約までしてくれた。
一般的にシャイなデンマーク人だけど、一度仲良くなるとものすごく面倒見が良いし、親身になってくれる。18歳の私あデンマーク語を選んだのは間違いじゃなかったって、心の底から思える幸せな空間なのだ。
朝からめちゃくちゃいい天気!
musli(いろんな穀物やドライフルーツやナッツ類が混ざったコーンフレークみたいなもの)とヨーグルト(無脂肪からフルーツ入りまでいろんな種類を1Lの牛乳パックで買える)、というこれもまた典型的なデンマークの朝ごはんを食べる。
Betinaも私も起きたのが8:00過ぎだったので、当然他の家族は既に仕事に行っていた。
デンマークの仕事のコアタイムは8:00〜16:00だからね。
法律上、週37か38時間までしか働いちゃいけないから、5日間コアタイムで働いたら、残業できるのは2〜3時間だよね。
いいな・・・。
その上年6週間の休暇をとるのが普通で、職種によっては7週間目の休暇が必要だとかいってストライキまで起こすんだから、
デンマーク人恐るべしだわー。
しまった、旅行記のはずが横道にそれた。。。
午前中はまず、Egtved近くの小さな村ビネバルへ。
日本にビネバル出版ていう小さな北欧関係書籍を発行したりする出版社があるのご存知?
その会社の名前はこの村から来ているのね。
あまりにも小さな村だから、ユラン半島のどこに位置するのかもよくわかってなかったんだけど、たまたまEgtvedの近くだったのだ。
森の中をお散歩して、牧場の馬や羊や牛を眺めたりしてると、普段東京でカリカリしながら仕事しててできた心のとげがどんどん丸くなっていくみたい。
そんなことをBetinaに言うと、『新鮮な空気の中でいるだけで違うよね』って。
デンマーク人でもそう思うんだなぁ。
九州の面積に福岡県民の人口しかいないようなものなのだけどね、デンマークって。基本的にコペンハーゲンやオーフスみたいな都会だって、東京や大阪なんかとは比べ物にならないくらい規模が小さくて、空気がきれいだと思えるんだけどね、日本人には。
お散歩のあとには、KøbmandsMuseumという昔の商人たちの集まる場所だった(旅籠みたいなもの?)お店にふるーいおもちゃからお酒やタバコのパッケージや計りから木靴までレトロなもの集めたプチ博物館へ。
もともとがお店だから、ホントに小さい。
そして、1階ではそういうレトロなもののレプリカからお菓子やお茶を販売してる。
一番印象に残ったのは、第2次大戦中の配給券とかの展示。(腐っても北欧歴史ゼミ魂)
日本ではお米であったところが、やっぱり小麦とか他の穀物なんだなーってのと、注目すべきは『コーヒー券』。コーヒーっていうなれば嗜好品だから、わざわざ平等に配給するものではないような高級品なのかと思えば、コーヒーがなくちゃ生きていけないのがデンマーク人か。。。
今時の若いデンマークの女の子たちこそハーブティーとかを好むけど、ちょっと年上のデンマーク人は泥のように濃いコーヒー好きで飲んでるもんなー。。。。
プチ博物館のあとは、EgtvedPigen(http://da.wikipedia.org/wiki/Egtvedpigen)という青銅器時代(3300年くらい前)に18歳だった女の子が発掘された古墳(の様なもの)へ。
本物の木棺とか装飾品はコペンハーゲンの国立博物館で展示されているので、ここにあるのは説明版とレプリカと丘(古墳)。
モーセゴー博物館のグロウバレマン(泥炭地のミイラhttp://www.moesmus.dk/page.asp?objectid=242&zcs=4)みたいなリアルな人体が展示されてるわけじゃないから、普通に登呂遺跡見てるようなものだね。
そんな感じでちょっとした歴史ツアーをした後、今度はEgtvedの街をお散歩して、500年以上前の協会が今でも現役であることに感心したり(ヨーロッパの教会としては特に古いわけでもないけど)しつつ、ス―パーでお昼ご飯用のleverpøstej(レバーパテ)やパプリカ(日本よりはるかに安い)を買って、Betinaのおうちへ帰った。
お昼ご飯食べてちょっとゆっくりしたらもう14時過ぎで、Vejleからオーフス(Århus、デンマーク第2の都市)へ向かう予定から考えると、もうあんまり時間がなかった。
Betinaは今夜オーデンセで約束があるということで、Vejle駅に寄ってもらうことに。
今度はVibekeと一緒に日本に行くからね、というBetinaと名残を惜しみ、17:00のオーフス駅での待ち合わせのため、また列車に乗り込んだのでした。
私がかつていた2個目の学校RøndeHæjskoleはオーフス郊外の小さな街にあったので、今でもオーフスの大学に行ってたりオーフスで働いている友達が多い。
今回は、Lise(と彼氏)のうちに泊まらせてもらうことになって、Lise宅にLotte、Lisbeth,Tascha.Maleneが夕食会に集まった。
Liseはこの秋から学校の先生になって、コレギア(大学の寮みたいなもの)から引っ越して新しいお部屋で彼氏と暮らし始めたところ。まだ誰も遊びに行ったことがないからちょうどいい、ということになったらしい。
しかし、この面子で月2〜3日も集まってるってのはうらやましい。。。。
みんなでわいわいがやがやとLise手作りのフリカデーラ(デンマーク伝統料理のミートボール)とジャガイモ、サラダ、そしてデザートのりんごケーキを食べつつ色々話す。
私が働きすぎ(デンマークの『普通』と比べて)な話や、ホイスコーレの同窓会は、若者がうるさいしお年寄りが先生たちを独占するから、うちの代だけでやろうとしてる話やら、Irene先生がエチオピア人の3姉弟を養子にした話で盛り上がって楽しかった。
そして、話の流れで翌日私がコペンハーゲンに戻る前に暇があったTaschaとMeleneとRøndeHæjskoleへ遊びに行こうってことになり、早速TaschaはOle(校長先生)に電話をかけ、Liseの彼氏はRøndeからコペンハーゲンへの一番早くて楽で安い行きかたを調べてくれたうえに、バス+フェリーの予約までしてくれた。
一般的にシャイなデンマーク人だけど、一度仲良くなるとものすごく面倒見が良いし、親身になってくれる。18歳の私あデンマーク語を選んだのは間違いじゃなかったって、心の底から思える幸せな空間なのだ。
9/17(月)
目覚めた時間が起きる時間・・・という構えで寝ていたら、気づけば9:30。。。
当然ながら月曜日、日本以外の国は祝日でもないので、デン君は既に出勤して行かれてました。
寝こけてて申し訳ない。
12:00にコペンハーゲン中央駅の大時計下(わかる人にはわかるはず!)で大学時代のデンマーク語の先生Janusと待ち合わせしていたため、時間もないことだし朝はコーヒーのみでランチに備えることに。
ユリリーネと順番にシャワーを浴び、身支度し、スーツケースに荷物つめなおして(ともえとむオーダーのブツを渡した分、多少軽くなり)、2泊させてもらったともえとむ&デン君宅に別れを告げていざ、デンマークへ!
・・・といってもバスと電車合わせても1時間しない程度でデンマークに着くんだけどね。(笑)
そういえば、スウェーデンで2泊してるのに、1銭たりともスウェーデンクローネ使わなかったよ。あ、もちろん銭じゃなくてクローナだけど。
カード使ったのと、ともえとむにSuicaみたいなので交通費立て替えてもらっちゃったから。そしてそれをデンマーククローネで返した。。。なんとなくグローバル(笑)
12時よりちょっと余裕を持ってコペンハーゲン中央駅についたので、その間に私は本日の午後友達と待ち合わせしているVejle駅までの切符を買っておく。窓口で指定席買ったんだけど、英語で聞き返されることもなく、ふつーにデンマーク語で会話してた。意外と2日間で戻ってくるもんだ。
3年半ぶりに会うJanusは、ほんのちょっとやせたかも、って感じだけど、基本的にはJanusのままだった。あたりまえだけど。
Vestabroあたりでランチしつつ、4人でいろいろしゃべってて、同期のみんなやPiaの噂話したりして。
日本人3人とデンマーク人1人で、デンマーク語でしゃべり倒すのも、デンマークに来たからこそだろうな。
卒業してからデンマーク語つかってなかったにしては良く覚えてるってほめてもらっちゃいました(笑)
14:00前にJanusは職場へ戻って行き、私は日本での再会(結婚パーティーの出席)をともえとむと約束し、帰りの飛行機までのしばしの別れをユリリーネに告げ、InterCityLyn-tog(都市間列車『ひかり』ってどこの国も同じようなこと考えるんだね)にて一路ユラン半島のVejleへ!
約2時間半の列車の旅で、しばし『世界の車窓から』ごっこを楽しみ(一人で。。。)、Vejle駅のホームに下りると、向こうから金髪でメガネで背の高い懐かしい姿が!
Betinaがお迎えに来てくれてました!!!
どの時間の列車に乗るかは伝えてあったんだけど、駅のどこでって決めてなかったから若干不安感じてたのが、一気に吹き飛んだ!
Betinaはデンマークでの1個目の学校のはじめの2ヶ月、一緒に寮生活してた1歳年上の友達(お姉ちゃん)。
つい最近までOdense(オーデンセ=アンデルセンの生まれた街)で学校に行ってたんだけど、ただいま休職中で一時的に実家暮らし。Vejle駅から実家のあるEgtvedまで車で連れて行ってくれました。
その間も、2年ほど前に閉校してしまったSkaælskør FolkeHøjskoleはよかったよねーとかSkaælskør 時代の仲間の噂話とかしゃべるしゃべる。
2002年の私が1年がんばれたのは、最初の2ヶ月でBetinaやVibekeやNatalieみたいないい友達に恵まれたからだと思うな、うん。
Betinaの家は、いかにもデンマーク的な田舎の農家で、めっちゃいえは広いし、畑はあるし、ひろーい庭というより草原で馬3頭飼ってるし!しかもその家はお父さんが自力で建てたって言うし!(建築基準法とかいろいろはイイのだろうか。。。)
Betinaのお母さんと妹Metteは学校の先生だからか、ゆっくり目に話してくれて助かった。お父さんは結構ユランなまりで話すの早くて大変だったけど、いい人オーラがにじみ出てた。
Metteと双子の弟もいるけど、今は一人暮らしをしているらしく実家におらず。写真で見る限りではそっくり!!(笑)
写真はBetinaの妹Metteのお部屋。
私が泊まらせてもらったお部屋です。
赤いお布団カバーは楽譜がプリントされてて、めっちゃかわいいの。(何の曲かは解読できなかったが。。。。)
Metteは弟君の部屋で寝てくれたらしい。
夜になるとデンマーク語に疲れちゃう状態だったので、早めに寝かせてもらったけど、JanusとBetinaにあえてほんとに嬉しい日でした。
目覚めた時間が起きる時間・・・という構えで寝ていたら、気づけば9:30。。。
当然ながら月曜日、日本以外の国は祝日でもないので、デン君は既に出勤して行かれてました。
寝こけてて申し訳ない。
12:00にコペンハーゲン中央駅の大時計下(わかる人にはわかるはず!)で大学時代のデンマーク語の先生Janusと待ち合わせしていたため、時間もないことだし朝はコーヒーのみでランチに備えることに。
ユリリーネと順番にシャワーを浴び、身支度し、スーツケースに荷物つめなおして(ともえとむオーダーのブツを渡した分、多少軽くなり)、2泊させてもらったともえとむ&デン君宅に別れを告げていざ、デンマークへ!
・・・といってもバスと電車合わせても1時間しない程度でデンマークに着くんだけどね。(笑)
そういえば、スウェーデンで2泊してるのに、1銭たりともスウェーデンクローネ使わなかったよ。あ、もちろん銭じゃなくてクローナだけど。
カード使ったのと、ともえとむにSuicaみたいなので交通費立て替えてもらっちゃったから。そしてそれをデンマーククローネで返した。。。なんとなくグローバル(笑)
12時よりちょっと余裕を持ってコペンハーゲン中央駅についたので、その間に私は本日の午後友達と待ち合わせしているVejle駅までの切符を買っておく。窓口で指定席買ったんだけど、英語で聞き返されることもなく、ふつーにデンマーク語で会話してた。意外と2日間で戻ってくるもんだ。
3年半ぶりに会うJanusは、ほんのちょっとやせたかも、って感じだけど、基本的にはJanusのままだった。あたりまえだけど。
Vestabroあたりでランチしつつ、4人でいろいろしゃべってて、同期のみんなやPiaの噂話したりして。
日本人3人とデンマーク人1人で、デンマーク語でしゃべり倒すのも、デンマークに来たからこそだろうな。
卒業してからデンマーク語つかってなかったにしては良く覚えてるってほめてもらっちゃいました(笑)
14:00前にJanusは職場へ戻って行き、私は日本での再会(結婚パーティーの出席)をともえとむと約束し、帰りの飛行機までのしばしの別れをユリリーネに告げ、InterCityLyn-tog(都市間列車『ひかり』ってどこの国も同じようなこと考えるんだね)にて一路ユラン半島のVejleへ!
約2時間半の列車の旅で、しばし『世界の車窓から』ごっこを楽しみ(一人で。。。)、Vejle駅のホームに下りると、向こうから金髪でメガネで背の高い懐かしい姿が!
Betinaがお迎えに来てくれてました!!!
どの時間の列車に乗るかは伝えてあったんだけど、駅のどこでって決めてなかったから若干不安感じてたのが、一気に吹き飛んだ!
Betinaはデンマークでの1個目の学校のはじめの2ヶ月、一緒に寮生活してた1歳年上の友達(お姉ちゃん)。
つい最近までOdense(オーデンセ=アンデルセンの生まれた街)で学校に行ってたんだけど、ただいま休職中で一時的に実家暮らし。Vejle駅から実家のあるEgtvedまで車で連れて行ってくれました。
その間も、2年ほど前に閉校してしまったSkaælskør FolkeHøjskoleはよかったよねーとかSkaælskør 時代の仲間の噂話とかしゃべるしゃべる。
2002年の私が1年がんばれたのは、最初の2ヶ月でBetinaやVibekeやNatalieみたいないい友達に恵まれたからだと思うな、うん。
Betinaの家は、いかにもデンマーク的な田舎の農家で、めっちゃいえは広いし、畑はあるし、ひろーい庭というより草原で馬3頭飼ってるし!しかもその家はお父さんが自力で建てたって言うし!(建築基準法とかいろいろはイイのだろうか。。。)
Betinaのお母さんと妹Metteは学校の先生だからか、ゆっくり目に話してくれて助かった。お父さんは結構ユランなまりで話すの早くて大変だったけど、いい人オーラがにじみ出てた。
Metteと双子の弟もいるけど、今は一人暮らしをしているらしく実家におらず。写真で見る限りではそっくり!!(笑)
写真はBetinaの妹Metteのお部屋。
私が泊まらせてもらったお部屋です。
赤いお布団カバーは楽譜がプリントされてて、めっちゃかわいいの。(何の曲かは解読できなかったが。。。。)
Metteは弟君の部屋で寝てくれたらしい。
夜になるとデンマーク語に疲れちゃう状態だったので、早めに寝かせてもらったけど、JanusとBetinaにあえてほんとに嬉しい日でした。
2007年夏休み?Ven島(スウェーデン)
2007年9月26日9/16(日)
朝の天気・・・まぁまぁ。
土砂降りとかじゃないし、前日の夕方ほど寒くもなし。
朝は手作りパンにチーズ・ハム・きゅうり・トマト・チョコスプレッド・ジャムなどをずらーっとテーブルに並べたデンマーク流朝ごはん!
しかも、デン君お手製の手作りパン!!
同じパンでお昼用のmadpakke(お弁当の意。サンドイッチね。)を作って、さあお出かけ!!
行き先はデンマークとスウェーデンの間にある島、Ven島。
デンマークから7.5km、スウェーデンから4.5km。
デン君運転のレンタカーでLandskronaという街まで行き、そこからフェリーで渡るのだ。
約30分の船旅。
ほとんど相客がいなくて、われわれ専用の船に近いくらい(笑)
Ven島ではレンタサイクルで島1周に挑戦!
とはいえめっちゃ小さな島なのね。
海岸線の長さで11kmちょいだし、自転車で走れるのはもうちょっと内陸部分だったりするし。
ちなみに、このとき借りたレンタサイクル、こっちの普通のサイズはかなり大きくて。。。。一応一番背の高い私も、まともにブレーキかけるには危険な高さ。
ヨーロッパ式の自転車って、ハンドブレーキじゃなくてペダル逆回しでブレーキかける形式だから、足立たないとうまく止まれないのよね。
日本人3人ともJuniorサイズを借りたのでした(笑)
しかしながら、風吹きすぎて!
ものすごい風の中 みんなでチャリチャリ。
途中、デン君とともえとむは「この坂上りきったらアイス1個おごってあげる」賭けしてて、半分はともえとむが勝ったのかな。ゆりりーねは坂のはじめから自転車下りてて、私は途中で降りて押してた(笑)
海辺で強風を受けながらご飯食べつつ海にいる白鳥見たり、砂利道の坂道をブレーキギーギー言わせながら下ったり、みんなでキャァキャァいいながらどうにか島を一周!!
帰りの船に乗り込む前にともえとむは賭けの商品のアイスをゲット!ついでに私までおごってもらっちゃいました(笑)
運動したあとのアイスは格別なり☆
みんなで口々に疲れた疲れた言ってたけど、
おうちに帰る頃には風も止まってきれーいな青空!!
日焼け止め忘れた私はきれいに日焼け!
お夕飯前にはデン君の友人も合流し、ユリリーネのPEI(プリンスエドワード島→赤毛のアンの島)とノルウェー写真を鑑賞。
そしてみんなでにぎやかにご飯ご飯♪
チキンとジャガイモとサラダ!
こっちの人はオーブン調理が多いようです。
ダメ押しにともえとむ特製チョコレートケーキも食べて、大満足な気分で眠ったのでした。
朝の天気・・・まぁまぁ。
土砂降りとかじゃないし、前日の夕方ほど寒くもなし。
朝は手作りパンにチーズ・ハム・きゅうり・トマト・チョコスプレッド・ジャムなどをずらーっとテーブルに並べたデンマーク流朝ごはん!
しかも、デン君お手製の手作りパン!!
同じパンでお昼用のmadpakke(お弁当の意。サンドイッチね。)を作って、さあお出かけ!!
行き先はデンマークとスウェーデンの間にある島、Ven島。
デンマークから7.5km、スウェーデンから4.5km。
デン君運転のレンタカーでLandskronaという街まで行き、そこからフェリーで渡るのだ。
約30分の船旅。
ほとんど相客がいなくて、われわれ専用の船に近いくらい(笑)
Ven島ではレンタサイクルで島1周に挑戦!
とはいえめっちゃ小さな島なのね。
海岸線の長さで11kmちょいだし、自転車で走れるのはもうちょっと内陸部分だったりするし。
ちなみに、このとき借りたレンタサイクル、こっちの普通のサイズはかなり大きくて。。。。一応一番背の高い私も、まともにブレーキかけるには危険な高さ。
ヨーロッパ式の自転車って、ハンドブレーキじゃなくてペダル逆回しでブレーキかける形式だから、足立たないとうまく止まれないのよね。
日本人3人ともJuniorサイズを借りたのでした(笑)
しかしながら、風吹きすぎて!
ものすごい風の中 みんなでチャリチャリ。
途中、デン君とともえとむは「この坂上りきったらアイス1個おごってあげる」賭けしてて、半分はともえとむが勝ったのかな。ゆりりーねは坂のはじめから自転車下りてて、私は途中で降りて押してた(笑)
海辺で強風を受けながらご飯食べつつ海にいる白鳥見たり、砂利道の坂道をブレーキギーギー言わせながら下ったり、みんなでキャァキャァいいながらどうにか島を一周!!
帰りの船に乗り込む前にともえとむは賭けの商品のアイスをゲット!ついでに私までおごってもらっちゃいました(笑)
運動したあとのアイスは格別なり☆
みんなで口々に疲れた疲れた言ってたけど、
おうちに帰る頃には風も止まってきれーいな青空!!
日焼け止め忘れた私はきれいに日焼け!
お夕飯前にはデン君の友人も合流し、ユリリーネのPEI(プリンスエドワード島→赤毛のアンの島)とノルウェー写真を鑑賞。
そしてみんなでにぎやかにご飯ご飯♪
チキンとジャガイモとサラダ!
こっちの人はオーブン調理が多いようです。
ダメ押しにともえとむ特製チョコレートケーキも食べて、大満足な気分で眠ったのでした。
2007年夏休み?東京〜マルメ(スウェーデン)
2007年9月24日コメント (2)9/15(土)
出発日。
当日日付になってから、デンマークの友人とチャットで待ち合わせ時間などを話していた。
下手に寝たら寝坊して飛行機やばいなーとか思いながら2:00に寝て6:00に起きた(笑)。
意外と大丈夫なものね。
日本時間12:00前、無事に成田より離陸。
SASのコペンハーゲン直行便は、熱々のパンが機内食で出るのがお気に入り♪
オーシャンズ13を約2回、スパイダーマン3を約半分見た。
SASのエコノミーはオンデマンドでの映画の再生が出来ないのが難点。。。
約11時間(11時間半近かったのかな・・・・)のフライト。
デンマーク時間16:00過ぎにカストロップ空港(コペンハーゲン)到着!
ほぼ予定時刻どおり。空港にお出迎えの方々に来ていただいてたので、大きな遅れがなくてよかったー・・・・と思ったのもつかの間、パスコントロール、6ゲート中2つしか開いてないやん!もちろん長蛇の列・・・・。
EU内優先カウンターも通してくれてたからよいけども、なんつーか非・効率的。。。。
16:30頃、無事、デンマーク語仲間ともえとむ&ユリリーネ、ともえともむの彼氏デン君(デンマーク人の彼氏君→デン君)、そしてデンマーク人の友人(デン友)Miaに出会えた!
ともえとむ&ユリリーネ&デン君の3人組と、Miaとは面識がなかっただけに、無事合流できるかー?と思っていたが大丈夫だった様子。
Miaとは再会を喜んだだけで水曜日までお別れ。
ちょっと会うだけでもいいからお迎え行くよーといってくれたので、こんなかたちになったのだ。
その後は4人で対岸のマルメ(ハイ!地図を見てみましょう。デンマークじゃなくてスウェーデンですねー。)に住んでいるともえとむ&デン君のおうちまでバス・・・のはずだったのだが、おうちまで帰ったのはデン君と荷物だけ。
バス停で荷物だけ降ろしてデン君が持って帰ってくれて、われわれ日本人女子3名は街の中心部までそのままバスに乗っていきました。日本ではやらないわな、こんな荒業。(笑)
もはや夕方(まあ、北欧の初秋なのでまだ19:00は明るいけども)だったし、土曜(土曜は短縮営業、日曜は営業しないのよね、こっちの店は。。。)だしで、商店街はみごとに閉まっていたのだが、散歩しながら久々に日本語でしゃべりまくり!
やっぱり、外大デンマーク語仲間はサイコー!
さて、ともえとむ&デン君のおうちに帰る(行く?)と、デン君がラザニアを焼いて待ってくれていた。。。
そこの日本男子!見習うと良いですよ!!(笑)
そんなこんなで夏休み1日目は順調に滑り出したのでした。
出発日。
当日日付になってから、デンマークの友人とチャットで待ち合わせ時間などを話していた。
下手に寝たら寝坊して飛行機やばいなーとか思いながら2:00に寝て6:00に起きた(笑)。
意外と大丈夫なものね。
日本時間12:00前、無事に成田より離陸。
SASのコペンハーゲン直行便は、熱々のパンが機内食で出るのがお気に入り♪
オーシャンズ13を約2回、スパイダーマン3を約半分見た。
SASのエコノミーはオンデマンドでの映画の再生が出来ないのが難点。。。
約11時間(11時間半近かったのかな・・・・)のフライト。
デンマーク時間16:00過ぎにカストロップ空港(コペンハーゲン)到着!
ほぼ予定時刻どおり。空港にお出迎えの方々に来ていただいてたので、大きな遅れがなくてよかったー・・・・と思ったのもつかの間、パスコントロール、6ゲート中2つしか開いてないやん!もちろん長蛇の列・・・・。
EU内優先カウンターも通してくれてたからよいけども、なんつーか非・効率的。。。。
16:30頃、無事、デンマーク語仲間ともえとむ&ユリリーネ、ともえともむの彼氏デン君(デンマーク人の彼氏君→デン君)、そしてデンマーク人の友人(デン友)Miaに出会えた!
ともえとむ&ユリリーネ&デン君の3人組と、Miaとは面識がなかっただけに、無事合流できるかー?と思っていたが大丈夫だった様子。
Miaとは再会を喜んだだけで水曜日までお別れ。
ちょっと会うだけでもいいからお迎え行くよーといってくれたので、こんなかたちになったのだ。
その後は4人で対岸のマルメ(ハイ!地図を見てみましょう。デンマークじゃなくてスウェーデンですねー。)に住んでいるともえとむ&デン君のおうちまでバス・・・のはずだったのだが、おうちまで帰ったのはデン君と荷物だけ。
バス停で荷物だけ降ろしてデン君が持って帰ってくれて、われわれ日本人女子3名は街の中心部までそのままバスに乗っていきました。日本ではやらないわな、こんな荒業。(笑)
もはや夕方(まあ、北欧の初秋なのでまだ19:00は明るいけども)だったし、土曜(土曜は短縮営業、日曜は営業しないのよね、こっちの店は。。。)だしで、商店街はみごとに閉まっていたのだが、散歩しながら久々に日本語でしゃべりまくり!
やっぱり、外大デンマーク語仲間はサイコー!
さて、ともえとむ&デン君のおうちに帰る(行く?)と、デン君がラザニアを焼いて待ってくれていた。。。
そこの日本男子!見習うと良いですよ!!(笑)
そんなこんなで夏休み1日目は順調に滑り出したのでした。
この1冊!【2007年8月】
2007年9月1日 読書
『高く遠く空へ歌ううた』
著者:小路 幸也
荒井良二氏の表紙のイラストがきっかけの『ジャケ買い』。
メフィスト賞受賞『空を見上げる古い歌を口ずさむ 』の続編というか、『pulp-town fiction』シリーズの第二弾というか。。。
メフィスト賞はミステリの賞なのだが、非常にほんわかした絵柄。
前作も同じ方のイラストで、ちゃんと内容踏まえた表紙になっている。
内容よりイラスト重視の珍しい8月の【この1冊!】(笑)
一部の登場人物と独特の設定が共通してるし、サブタイトル『pulp-town fiction』をわざわざつけているから、シリーズではあるんだろうけど、はりっぱなしの伏線というか、クリアにされない登場人物たちが多いのは2冊とも同じなので、読む順番は、どっちから読んでもよい感じ。
ふりがなの多さとフォントの大きさから考えると、読者ターゲットは実は小中学生くらいだったりするのかもね。
それにしては人が死ぬが。。。
でも主人公の義眼の少年ギーガンとか、小学生設定だし。
『本格』ミステリフリークだったら、最後の謎解きあたりでようやく明らかになる【そもそもの設定】に本投げたくなるかもしれない(笑)
それでもこれが今月の1冊なのは、8月はオーケストラの演奏会に出たがゆえに読書時間を減らして練習してたから。
内容で一押しの作品を読んでいない気がするのよね。
今回のQEDは短編集だったし。
あー、本来内容的に8月の1冊に選ぶべきは、『重力ピエロ』だけど、既に伊坂作品は『オーデュボンの祈り』を3月の1冊に選んでるので控えた。
篠田真由美のイタリア3部作は最後の1冊読んでから評価したいし、宮部みゆきの新作上下巻はまだ積読状態だし。。。。
読書の秋の9月に期待、としておきましょ。
(秋とか言いつつ、9月に夏休みとってデンマーク1週間行くのだが。。。。)
この本はこの本として。
メフィスト賞受賞作はほとんど読んでるんだけど、決着のつけ方というか、トリックとか言い出したらそもそも論になっちゃうけど、メフィスト賞はどこまで『広義の』ミステリになっていくんだろうか、という疑問も多少。
まあ、薬屋探偵の時にすでにSFというかファンタジー風味もありになってたか。
from Amazon
出版社/著者からの内容紹介
ぼく、また死体を見つけてしまったんです。これで10人目なんです。
高くて広い空に囲まれた街で起きる不思議な事件。少年・ギーガンは知らず知らずのうちに事件に巻き込まれていく。第29回メフィスト賞受賞作家が放つ会心作!
著者:小路 幸也
荒井良二氏の表紙のイラストがきっかけの『ジャケ買い』。
メフィスト賞受賞『空を見上げる古い歌を口ずさむ 』の続編というか、『pulp-town fiction』シリーズの第二弾というか。。。
メフィスト賞はミステリの賞なのだが、非常にほんわかした絵柄。
前作も同じ方のイラストで、ちゃんと内容踏まえた表紙になっている。
内容よりイラスト重視の珍しい8月の【この1冊!】(笑)
一部の登場人物と独特の設定が共通してるし、サブタイトル『pulp-town fiction』をわざわざつけているから、シリーズではあるんだろうけど、はりっぱなしの伏線というか、クリアにされない登場人物たちが多いのは2冊とも同じなので、読む順番は、どっちから読んでもよい感じ。
ふりがなの多さとフォントの大きさから考えると、読者ターゲットは実は小中学生くらいだったりするのかもね。
それにしては人が死ぬが。。。
でも主人公の義眼の少年ギーガンとか、小学生設定だし。
『本格』ミステリフリークだったら、最後の謎解きあたりでようやく明らかになる【そもそもの設定】に本投げたくなるかもしれない(笑)
それでもこれが今月の1冊なのは、8月はオーケストラの演奏会に出たがゆえに読書時間を減らして練習してたから。
内容で一押しの作品を読んでいない気がするのよね。
今回のQEDは短編集だったし。
あー、本来内容的に8月の1冊に選ぶべきは、『重力ピエロ』だけど、既に伊坂作品は『オーデュボンの祈り』を3月の1冊に選んでるので控えた。
篠田真由美のイタリア3部作は最後の1冊読んでから評価したいし、宮部みゆきの新作上下巻はまだ積読状態だし。。。。
読書の秋の9月に期待、としておきましょ。
(秋とか言いつつ、9月に夏休みとってデンマーク1週間行くのだが。。。。)
この本はこの本として。
メフィスト賞受賞作はほとんど読んでるんだけど、決着のつけ方というか、トリックとか言い出したらそもそも論になっちゃうけど、メフィスト賞はどこまで『広義の』ミステリになっていくんだろうか、という疑問も多少。
まあ、薬屋探偵の時にすでにSFというかファンタジー風味もありになってたか。
from Amazon
出版社/著者からの内容紹介
ぼく、また死体を見つけてしまったんです。これで10人目なんです。
高くて広い空に囲まれた街で起きる不思議な事件。少年・ギーガンは知らず知らずのうちに事件に巻き込まれていく。第29回メフィスト賞受賞作家が放つ会心作!
この1冊!【2007年7月】
2007年8月5日 読書
『白夜行』
著者:東野圭吾
「ベストセラー」って苦手だ。
なんかの賞をとったり、話題になったりドラマになったりしてベストセラーになると、ほとんどの場合はテレビやネットでネタばれする。
ネタがわかってしまったら、ミステリーを読む楽しみは半減してしまう、と私は思う。
東野作品てかなり映像化されていて、書評欄やテレビであらすじがわかってしまうし、読もうという気が生まれなかった。
本格ミステリを読み漁っていた学生時代の一時期、デビュー作の『放課後』は読んだけど、文体が苦手ではまれなかった。
そのせいもあって、東野作品て今まであんまり読んだことがなかった。
そんな感じで、ドラマも見てないし原作も読んでいないわりにあらすじを知っている作品群のひとつだった『白夜行』。
読むきっかけは、半年ほど一緒に仕事していたHさんに薦められたから。
薦められたのは4月か5月なのだが、結構長編なので1ヶ月ほど積読状態で後回し。7月後半1週間ばかりかけてこつこつ読んだ。
デビュー作と比べるのは酷かもしれないが、格段に文体が読みやすくなっているし、何より小説としても魅力でぐいぐい読まされる。
でも結局、これは広義の『ミステリ』かもしれないけど、本格ではないのね。
むしろ社会派サスペンスというか。どこか新堂冬樹の書くダークサイドの社会に通じるものが見えてくる。
ミステリとしての『真相』は途中から普通に読めてきてしまうのだけれど、最終的な落とし前のつけ方というか、物語の終わらせ方が、どこか切なくて、ある意味では純愛小説な気もする。
そうか、だから新堂冬樹とかぶって感じるものがあるのか。『忘れ雪』と通じるものが流れている気がするから。
極論を言うようだけど、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』も純愛小説だと思うのです、私は。
from Amazon
出版社/著者からの内容紹介
19年前の大阪の質屋殺し。迷宮入りしたこの事件に関係した少年と少女が歩んだ道は…。絶望の白い光の中、魂の荒野を行く男と女を、叙事詩的スケールで描く傑作ミステリー長篇。 (解説・馳 星周)。
著者:東野圭吾
「ベストセラー」って苦手だ。
なんかの賞をとったり、話題になったりドラマになったりしてベストセラーになると、ほとんどの場合はテレビやネットでネタばれする。
ネタがわかってしまったら、ミステリーを読む楽しみは半減してしまう、と私は思う。
東野作品てかなり映像化されていて、書評欄やテレビであらすじがわかってしまうし、読もうという気が生まれなかった。
本格ミステリを読み漁っていた学生時代の一時期、デビュー作の『放課後』は読んだけど、文体が苦手ではまれなかった。
そのせいもあって、東野作品て今まであんまり読んだことがなかった。
そんな感じで、ドラマも見てないし原作も読んでいないわりにあらすじを知っている作品群のひとつだった『白夜行』。
読むきっかけは、半年ほど一緒に仕事していたHさんに薦められたから。
薦められたのは4月か5月なのだが、結構長編なので1ヶ月ほど積読状態で後回し。7月後半1週間ばかりかけてこつこつ読んだ。
デビュー作と比べるのは酷かもしれないが、格段に文体が読みやすくなっているし、何より小説としても魅力でぐいぐい読まされる。
でも結局、これは広義の『ミステリ』かもしれないけど、本格ではないのね。
むしろ社会派サスペンスというか。どこか新堂冬樹の書くダークサイドの社会に通じるものが見えてくる。
ミステリとしての『真相』は途中から普通に読めてきてしまうのだけれど、最終的な落とし前のつけ方というか、物語の終わらせ方が、どこか切なくて、ある意味では純愛小説な気もする。
そうか、だから新堂冬樹とかぶって感じるものがあるのか。『忘れ雪』と通じるものが流れている気がするから。
極論を言うようだけど、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』も純愛小説だと思うのです、私は。
from Amazon
出版社/著者からの内容紹介
19年前の大阪の質屋殺し。迷宮入りしたこの事件に関係した少年と少女が歩んだ道は…。絶望の白い光の中、魂の荒野を行く男と女を、叙事詩的スケールで描く傑作ミステリー長篇。 (解説・馳 星周)。
この1冊!【2007年6月】
2007年7月19日 読書
『昼は雲の柱』
著者:石黒 耀
大学生になって、静岡を離れて大阪で暮らすようになるまで、
富士山を見たことのない日本人がいることに気づかなかった。
西日本から富士山が見えないのは当然なのにね。
それくらい、静岡人にとって富士山が見えるということは、自然なことなのだ。
2階建ての自宅からはよく見えなかったりしても、
4階建て5階建ての学校の校舎からはよく見えてた。
小学校も中学も高校も。
今は東京に暮らしていて、時々仕事で多摩に行ったときに富士山がちらりと見えると、妙にテンションがあがるくらい。
でも、どれだけ富士山が身近でも、富士山が噴火するのを想定して避難訓練をしたことはない。
東海大震災が来るといわれて数十年の土地柄でもあるからだ。
毎年2学期の始業式には防災訓練(地震を想定しての避難訓練)、してた。
今回取り上げた石黒 耀さんの作品、これが3作目。
3冊全部読んでいるけど、1冊目の九州舞台の『死都日本』、東海地震を描いた『震災列島』とくらべると、今回の作品はちょっと消化不良・・・と思ったら続きを執筆中らしい。
富士山噴火も、東海大震災も、
静岡人にとってはいや、日本人にとっても大きな打撃だろうな、ということがよくわかる小説だ。
静岡人じゃないあなたも、ぜひ。
↓↓↓↓↓ついでにBOOKデータベースからひっぱってみた。↓↓↓↓↓
出版社 / 著者からの内容紹介
石黒耀が放つクライシスノベル第3弾!
富士山地下で、怪しげな低周波地震が頻発。そしてついに噴火の日を迎えてしまう。被災地となる御殿場市を、そしてそこに関わる人々を救うことは出来るのか?!
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
石黒 耀
勤務医、作家。1954年、広島県生まれ。京阪神に育ち、宮崎医科大学(現在の宮崎大学医学部)に進む。2002年、南九州のじょうご型カルデラ火山の破局的大噴火をシミュレートした地学小説『死都日本』(第二十六回メフィスト賞受賞作)でデビュー。2004年には東海地震をテーマにした『震災列島』を発表。日本地質学会表彰、宮沢賢治奨励賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
著者:石黒 耀
大学生になって、静岡を離れて大阪で暮らすようになるまで、
富士山を見たことのない日本人がいることに気づかなかった。
西日本から富士山が見えないのは当然なのにね。
それくらい、静岡人にとって富士山が見えるということは、自然なことなのだ。
2階建ての自宅からはよく見えなかったりしても、
4階建て5階建ての学校の校舎からはよく見えてた。
小学校も中学も高校も。
今は東京に暮らしていて、時々仕事で多摩に行ったときに富士山がちらりと見えると、妙にテンションがあがるくらい。
でも、どれだけ富士山が身近でも、富士山が噴火するのを想定して避難訓練をしたことはない。
東海大震災が来るといわれて数十年の土地柄でもあるからだ。
毎年2学期の始業式には防災訓練(地震を想定しての避難訓練)、してた。
今回取り上げた石黒 耀さんの作品、これが3作目。
3冊全部読んでいるけど、1冊目の九州舞台の『死都日本』、東海地震を描いた『震災列島』とくらべると、今回の作品はちょっと消化不良・・・と思ったら続きを執筆中らしい。
富士山噴火も、東海大震災も、
静岡人にとってはいや、日本人にとっても大きな打撃だろうな、ということがよくわかる小説だ。
静岡人じゃないあなたも、ぜひ。
↓↓↓↓↓ついでにBOOKデータベースからひっぱってみた。↓↓↓↓↓
出版社 / 著者からの内容紹介
石黒耀が放つクライシスノベル第3弾!
富士山地下で、怪しげな低周波地震が頻発。そしてついに噴火の日を迎えてしまう。被災地となる御殿場市を、そしてそこに関わる人々を救うことは出来るのか?!
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
石黒 耀
勤務医、作家。1954年、広島県生まれ。京阪神に育ち、宮崎医科大学(現在の宮崎大学医学部)に進む。2002年、南九州のじょうご型カルデラ火山の破局的大噴火をシミュレートした地学小説『死都日本』(第二十六回メフィスト賞受賞作)でデビュー。2004年には東海地震をテーマにした『震災列島』を発表。日本地質学会表彰、宮沢賢治奨励賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
お久しぶり。
今年は9月の夏休みに、4年半ぶりのデンマーク行き決行です。
10月からワーキングホリデー可能になるので、下見もかねて。
留学時代、クリスマスを一緒にすごしたMiaより
>>>>>>>>>>>>>
hvor er det dejligt at høre at du kommer til danmark!
ja, selvfølgelig har jeg tid til dig!
Hvis du har lyst, må du meget gerne bo hos mig og min kæreste i københavn mens du er i danmark. vil du det?
jegg skal arbejde de dage du kommer til danmark, men jeg vil prøve at få fri nogle af dagene!
hvornår ankommer du i lufthavnen?
<<<<<<<<<<<<<
1個目の学校で2ヶ月間ルームメートだったDorteより
>>>>>>>>>>>>>
Jeg symes da at du skriver dansk rigtig godt!
Jeg starter på job i august, men jeg vil gerne prøve at finde tid til dig omkring d. 16/9 - 20/9, det kunne være rigtig sjovt at ses igen.
Skriv endelig igen hvis vi kan mødes.
vi ses!
<<<<<<<<<<<<<
1個目の学校で最初に面倒見てくれたメガネ姉さんBetinaより
>>>>>>>>>>>>>
Hvor er det dejligt at høre fra dig. Dejligt at du har det godt.
Jeg vil meget gerne mødes med dig. Jeg bor i Odense på Fyn. Jeg kan lige snakke med Vibeke om vi skal finde en dag hvor vi kan mødes. Du må sige hvilken dag der passer dig bedst.
Jeg er blevet færdig med min turismeuddannelse og søger nu et arbejde. Jeg arbejder iøjeblikket i et konsulentfirma der arbejder med turisme, så det er dejligt.
Glæder mig til at se dig igen:-)
<<<<<<<<<<<<<
4年半会ってなくても(Miaは途中で東京来たから3年)、
旅行先に待っていてくれる人がいるのは嬉しいな。
もちろん、マイミクともえとむちゃんもね!
わかる人にわかればよい、という自己満足な日記ですが、
個人的には超テンションあがってます。
気が向いたら和訳したものを更新しますわ〜〜〜♪
今年は9月の夏休みに、4年半ぶりのデンマーク行き決行です。
10月からワーキングホリデー可能になるので、下見もかねて。
留学時代、クリスマスを一緒にすごしたMiaより
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hvor er det dejligt at høre at du kommer til danmark!
ja, selvfølgelig har jeg tid til dig!
Hvis du har lyst, må du meget gerne bo hos mig og min kæreste i københavn mens du er i danmark. vil du det?
jegg skal arbejde de dage du kommer til danmark, men jeg vil prøve at få fri nogle af dagene!
hvornår ankommer du i lufthavnen?
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1個目の学校で2ヶ月間ルームメートだったDorteより
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Jeg symes da at du skriver dansk rigtig godt!
Jeg starter på job i august, men jeg vil gerne prøve at finde tid til dig omkring d. 16/9 - 20/9, det kunne være rigtig sjovt at ses igen.
Skriv endelig igen hvis vi kan mødes.
vi ses!
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1個目の学校で最初に面倒見てくれたメガネ姉さんBetinaより
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Hvor er det dejligt at høre fra dig. Dejligt at du har det godt.
Jeg vil meget gerne mødes med dig. Jeg bor i Odense på Fyn. Jeg kan lige snakke med Vibeke om vi skal finde en dag hvor vi kan mødes. Du må sige hvilken dag der passer dig bedst.
Jeg er blevet færdig med min turismeuddannelse og søger nu et arbejde. Jeg arbejder iøjeblikket i et konsulentfirma der arbejder med turisme, så det er dejligt.
Glæder mig til at se dig igen:-)
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4年半会ってなくても(Miaは途中で東京来たから3年)、
旅行先に待っていてくれる人がいるのは嬉しいな。
もちろん、マイミクともえとむちゃんもね!
わかる人にわかればよい、という自己満足な日記ですが、
個人的には超テンションあがってます。
気が向いたら和訳したものを更新しますわ〜〜〜♪